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「大切な仕事」感謝で実感 「侍ジャパン」スコアラー・上野裕平さん

2009年07月13日

 『練習嫌いだった少年時代。3年生の自覚が上野さんを変えた』

写真上野裕平さん=高山顕治撮影

             

 野球を始めたのは小学校5年生の時。父が大の巨人ファンで「野球をやれ」と言われて。半ば強制的ですね。ピッチャーを本格的に始めたのは高校2年の時なんです。当時の監督にやれって言われて。それまでは練習は好きじゃないし、走り込みも嫌で遠慮していました。3年生になって、1年生が入ってからは「このままじゃいかん」と思うようになって、それからは率先して後輩を走り込みに連れていきました。

    

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 『甲子園とは縁がなかった高校時代。目標は「打倒私立」だった』

             

 元々、野球がやりたくて辰巳丘に入学したわけではなかったんです。何でもいいから3年間続けられるスポーツをと思って。それでも私立を倒したいとは思ってました。1回でも(私立校に)勝てれば2回戦で負けてもいいやってくらい。3年の夏はベスト8まで行きましたが金沢高校に0対5で負けました。でも今でも公立校が頑張ってる姿とかを新聞で読むと励みになります。

    

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 『立教大学を経て入団した巨人でのプロ生活はケガとの戦い。そしてスコアラーに』             

 

 勝負だと思っていた2年目にひざから背中、肩にひじと、ありとあらゆるところをケガしました。自分より若いピッチャーが1軍で投げるのを見て、自分だったらと思ってリハビリやトレーニングに必死になりました。

 5年目のシーズン前の1月、手術したひじの痛みがとれずに「辞めます」と球団に言いました。そうしたら「スコアラーをやってみないか」って。野球に携わる仕事しかできないと思っていたので、ありがたかったです。けがをしていた期間に必死にやってるのを見ててくれた人がいたのかな、と思います。

 スコアラーといっても色々あるんですが、僕は相手チームの分析をして、それをもとにミーティングを開いて「今日はこうしましょう」とか。1年目からコーチや1軍の選手の前で話をしました。

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 『WBCのスコアラーに選ばれ、世界一に貢献した』             

 

 最初にお話をいただいた時は「僕では荷が重い」と返事をしました。4年しかスコアラーの経験はないし。でも原監督が僕でいいのではという話もしてくれたようで、それならばと思って決断しました。

 優勝した瞬間はベンチで監督の隣にいました。裏方ですし、グラウンドまでは出なかったですが。監督やコーチからは「お前らのおかげだよ」と言ってもらえて、就任してから寝る間も惜しんだ3カ月間の苦労が報われました。一生のうちにそう経験できないことなので、いい経験になりました。

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 『裏方の仕事をする球児、石川のすべての球児に伝えたいことがある』

             

 僕もスコアラーという陽の当たらない場所で仕事をしていて、これでよかったのかな、もっと(選手として)やれたんじゃないかなって思うことはありました。でもマネジャーもそうだと思いますが選手をサポートするっていうのはすごく大切な仕事。最後は必ずみんなに感謝されるし、その良さは選手には絶対にわからないものですよ。

 選手たちには、3年間やってきて最後の大会だから悔いのないように。勝っても負けてもすべて出し尽くしてほしいですね。僕は石川の野球は全国的にもレベルが高いと思っています。石川の学校が全国制覇をして、それを証明してほしいですね。(聞き手・山岸玲)


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