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早実圧巻、中京大中京を寄せ付けず 25安打21得点

2010年08月15日

(高校野球 早実21―6中京大中京) 3回戦は東京対決に――。大会第8日の14日、東東京代表の関東一は序盤から積極的に攻めて17安打を放ち、遊学館(石川)を下した。前年優勝の中京大中京(愛知)と対戦した西東京代表の早実も、25安打を浴びせる猛打で圧勝。大会第11日の第2試合(17日午前11時予定)で、8強入りをかけて激突することが決まった。東京勢同士の対戦は、第77回大会(1995年)準々決勝の帝京―創価以来、15年ぶりとなる。

写真早稲田実―中京大中京 1回表早稲田実1死満塁、深沢は走者一掃の左中間二塁打を放つ。捕手磯村=中里友紀撮影

■父・兄とつかんだ甲子園

 1回表、1死満塁で深沢恒太(3年)が打席に入った。4球目、外角の球をたたくと打球は左中間の奥深く飛び、走者一掃の二塁打となった。守りでも、二塁手として2度の併殺を決め、甲子園のグラウンドを駆けまわった。

 「WASEDA」のユニホームを着て甲子園に立つのが、幼稚園の頃からの夢だった。父の順さん(53)は早実OB。高校時代には応援委員会に所属し、スタンドから野球部を応援した。「子どもが生まれたら早実で野球をやらせたい」と思っていた。

 幼い頃から、2歳上の兄・亮太さん(20)や順さんとキャッチボールをした。負けず嫌いの子どもだった。遠投やホームランでの競争を亮太さんに持ちかけ、負けると「もう一度」とせがむ。亮太さんがわざと負けるとそれに気づいて、さらに悔しがった。

 父の願い通り、2人とも早実に進み、野球部へ。亮太さんは3年の夏、二塁手として西東京大会の決勝へ進んだが、日大鶴ケ丘に敗れ、あと一歩で甲子園を逃す。1年だった深沢は、スタンドで見ていて「頭が真っ白になった」と振り返る。

 「兄の分も」と甲子園をめざした。だが今春の都大会のシートノック中、ギックリ腰のような痛さを感じてベンチに下がる。「腰椎(ようつい)分離症」と診断された。

 1カ月間、練習ができなかった。腰の治療をしつつ、筋トレに励む日々。西東京大会の直前に何とか復帰すると、兄と同じ二塁手として先発メンバー入りを勝ち取った。

 西東京の決勝では、兄が敗れた日大鶴ケ丘を下して甲子園出場を決めた。早稲田大で野球を続ける兄は「こんな幸せはないから、楽しんで来いよ」とメールをくれた。

 深沢は「兄貴は、線路を敷いてくれた。目標でもあり、超えたい存在」と話す。まだ、兄を超えた気はしない。負けず嫌いの次男坊は、さらなる高みをめざす。=選手敬称略(山本奈朱香)


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