
プロ野球オリックスや大リーグ・マリナーズで活躍したイチローさんが高校球児を指導しています。
日米通算4367安打を積み上げ、走攻守のすべてで日米のファンを魅了したイチローさんは、一流の技術をどのように伝えているのでしょう。
2022年11~12月にあった新宿(東京)、富士(静岡)の2校での指導の詳細を紹介します。
最終回の5回目は「メンタル編」です。

「リズムをつくる」
球児の質問 「チャンスで打てる秘訣(ひけつ)はありますか」
(指導に行った)高校でみんなに聞かれるけど、必ず答えるのは、魔法みたいなことはない、ということ。
自分が結果を出して自信をつかむ。それしかないけど、打席に入るまでの自分の動き、リズムをつくって、打席に入れるかが大事。
自分の形、呼吸、間合いをつくることが有効だと思う。打席に入る前からの準備が大切になる。

「階段は左足から」
球児の質問 「どんなルーティンをしていたのですか」
ベンチに座っている時から、自分があと何人目の打者とか状況を考えているよね。ここでもうすでに、手袋をして態勢は整っている。
僕ら(プロ)は球場が決まっているんでね。(ベンチからグラウンドへの)階段を最初は左足から行こう、とかね。
そしてネクストバッターズサークルに行って。バットにリングをつけて、カウントしているわけではないけど、だいたい決まっている。
「自分なりのルーティンを」
三塁側から打席に向かうときは、僕は捕手や審判の後ろから。
僕のルーティンはなかなか時間がかかる。打席に入る前にバットを何回か振ってストレッチをして、とあるんだけど、高校野球では難しいと思う。
それでも、(高校野球でもできる)自分なりの何かをつくってみて。なるべく早い方がいいけど、なんでもいい。
「最後のスイッチを入れる」
このバッターボックスって特別なエリアなので、この(ボックスの)ラインをまたぐ時に、最後のスイッチを入れる。
なので、このラインをおろそかにしてほしくない。気持ちが乱れている状態でまたいでほしくない。
時間はないけど、深呼吸とか、自分なりに整えて、一歩踏み込む。

「早く構えたくない」
「左の世界に集中したい」
で、僕の場合は(右手一本で)投手方向にバットを向けるルーティンがあるけど、これをする理由はいくつかある。
早い段階でフォームを構えると、僕はすごい緊張してしてしまうので、長い間、構えておきたくない。
もう一つは、この(センター方向に真っすぐの)ラインをキープするために、バットで(ラインを)引いている。
バットが右方向にあると、投手よりも右の世界が見えてきて、すごい気持ち悪い。僕は(投手よりも)左の世界だけに集中したいから、ここで境界線を引いている。これがないとぼんやり全体が見えて嫌。
ボールを見る形も、左側を見ている。僕の場合はね。そのためのラインでもある。
いくつかスイッチがある。それをそれぞれが自分なりに、明確に持っていてほしい。
最後のスイッチをどこでいれるか、そういう目安になるものを持っておけば集中できる。チャンスで打たなきゃ、と気を取られずに、自分ができることをすべてやりきった上で構えることがすごく大事。
「げんも担ぐ」
僕の場合は左足から階段を上ってヒットが出なかったら、次は右足から上がろうとか、フェアラインをまたぐ時も、左でまたいでヒットが出たら、ずっと左から行こうとか。
げん担ぎだけどね。そんなことは数え切れないほどある。そういうのは自分たちでつくってしまえばいい。習慣づければ体が勝手にやってくれる。
「性格は『陽』」
声を出したら気持ちよくない? 筋肉も萎縮しない。そういう時間をつくると効果的だから、腹から声を出して。
《富士での指導の日は晴れて、グラウンドから富士山がよく見えた》
僕は持ってますからね。そういうこと。みんな、会ってみてどうだった?

僕の性格、「陽」だと思いませんか。いつも下を向いているとそういうの(「持っている」と言われるようなこと)が来ない。みんなも元気を出して。

「好きなものがいい」
「自分には厳しく」
球児の質問 「努力をして壁に向かっていくときの、原動力はなんですか」
僕の場合はずっと野球をやってきて、好きなものだから。シンプルに壁がきたらそれから逃げようとしなかったし、立ち向かっていった。負けたこともいっぱいあるけど。
やっぱり、自分が、本当に好きなものがいい。分かりやすく立ち向かっていける。
でも、そこまで好きじゃないものに向かわないと行けない時もある。それはベストの選択じゃなかったかもしれないけれど、だけど、それも自分が選択したもののはずだから。
だとしたら、自分の決断に責任を持って、向かって行く。
決断できないで悩んでいる人はいっぱいいると思うけど、決断は自分でしてほしい。そうしたらそこに責任を持てると思う。
みんな、自分に対していつも厳しくあってほしい。そうすれば、将来、どの世界に行っても、人を引っ張っていける人間になれると思います。みんな、そこを目指してほしい。期待しています。(構成・山口裕起)

イチローさんと高校野球
イチローさんは2019年3月に現役を引退し、20年に高校生や大学生への指導に必要な「学生野球資格」を回復しました。
20年秋に行った講演では、次のように語っています。
「高校野球は『野球』をやっている。大リーグは『コンテスト』なんです。どこまで飛ばせるかとか。野球とは言えない。高校野球にはそれが詰まっているんです。めちゃくちゃ面白い」
「僕はプロ入り前の野球にすごい興味がある。高校野球とか学生野球の指導者には、そんなにプロ経験者はいません。野球人としてこれから(野球界に)何かお返しできたらと思っています」
球児への指導は、20年12月の智弁和歌山を皮切りに、21年は国学院久我山(東京)、千葉明徳、高松商(香川)、22年は新宿(東京)、富士(静岡)とこれまで6校を訪れました。
21年までの訪問先は学校側の要望や部員からの手紙をきっかけに、決めていました。
新宿と富士については、ともに地域の小学生らを対象に野球の普及にも熱心に取り組んでおり、その活動に関心を持ったイチローさん自ら、訪問を決めました。
イチローさんは「今後もそれぞれのスタンスで野球に取り組んでいる高校生たちと一緒に野球をやってみたい」と話しています。
イチローさんの歩み
イチロー(本名:鈴木一朗=すずき・いちろう)
1973年10月22日、愛知県生まれ。愛工大名電高(愛知)から91年秋のドラフト4位でオリックスに入団し、94年から7年連続で首位打者を獲得した。
1月に阪神大震災が起きた95年は「がんばろうKOBE」を合言葉にリーグ優勝、翌96年は日本一に大きく貢献した。
2000年オフにポスティングシステムを利用して大リーグのマリナーズに移籍し、01年に首位打者、盗塁王を獲得してア・リーグMVPに。04年に262安打で大リーグのシーズン最多安打記録を84年ぶりに更新。01年から10年連続シーズン200安打。
12年途中からヤンキース、15年からマーリンズでプレーした。16年には大リーグ史上30人目、日本選手では初となる通算3000安打を達成した。18年にマリナーズに復帰し、19年3月に引退。右投げ左打ち。