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山形BEST GAME SELECTION
2013年第95回準々決勝
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1 2 3 4 5 6 7 8 9 計 日大山形 0 0 1 0 0 1 0 2 0 4 明徳義塾高知 1 0 0 1 0 1 0 0 0 3 -
V経験校を次々破って4強
日大山形は庄司が159球の力投、打線は八回の3長短打で応えた。日大三、作新学院に続いて歴代優勝校を3連破。県勢初の4強。
「指揮官として俺は劣る」監督の言葉に奮起 山形初4強
2018年4月28日17時22分
(2013年準々決勝 日大山形4―3明徳義塾)
追いついては、また離される。第95回(2013年)準々決勝、日大山形が明徳義塾(高知)を4―3で破り、県勢初のベスト4を決めた一戦は、終盤まで緊張感が漂った。
八回、2死二塁から峯田隼之介の三塁打で三たび追いついた。次打者は六回に同点打を放った奥村展征。「自信満々」で打席へ向かい、歩かされた。肩すかしにも、「敬遠策は別におかしなことじゃない。次にいい打者がいたので、任せたぞと」。
5番吉岡佑晟へ、奥村は一塁上から「思い切り行け」と大声を飛ばした。託された吉岡が2球目の直球を力強くとらえ、右前へ適時打。この試合、初めてリードを奪った。
裏の守り、初戦から2試合を1人で投げ抜いた庄司瑞(みずき)が3四死球で1死満塁のピンチを迎えた。監督の荒木準也は「1点取られてもいい」と伝令を送った。
「野球の神様に試されている」。7年前、初の8強入りを果たして迎えた早稲田実(西東京)戦が浮かんだ。準々決勝の舞台、八回裏の守りでリードは1点の場面。死球で1死満塁になる過程。同じだった。
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当時は「追いつかれたらひっくり返される」と、前進守備を指示。結果、イレギュラーした内野ゴロを遊撃手が捕球できず、逆転を許して敗れた。「勝負に『たられば』は禁物だが、後ろで守っていればどうなった」と考えていた。
ベンチの余裕は、グラウンドにも伝わる。庄司は、「明徳さんといえば緻密(ちみつ)な野球。スクイズが必ず来ると分かっていた」。一度スクイズを外し、追い込んで投じたスライダー。高めにすっぽ抜けた荒れ球が奏功し、再びバントした打者が邪飛を打ち上げた。
3バントを捕手浅沼孝紀が飛び込んで捕球。庄司は「飛び込まなくてもいいところで。周りが支えてくれていると、鳥肌が立った」。息を吹き返して後続を遊飛で打ち取り、9回は先頭を三振で切って三者凡退。逃げ切った。
念願の4強。新チーム発足時、主将に就いた奥村がぶち上げた目標だった。最初はチーム内も半信半疑。この代は春夏とも甲子園の経験がなく、「とりあえず甲子園、が本音」と庄司は明かす。周囲はもっと冷めていた。峯田の弁を借りれば「山形の人は1勝してこい、としか言わない」。
荒木は「勝負に勝ち負けはあるが、相手の名前に気後れすることは許さない」と言い続けてきた。名将馬淵史郎が率いる明徳戦の前には、こんな言葉で選手を奮い立たせている。「指揮官として俺は馬淵先生に劣る。でも試合は、お前らが勝つと思っている」。日大三(西東京)、作新学院(栃木)に続き、優勝経験校を破った。
様々な思いが交錯した末に目標をかなえ、奥村の目から光るものが流れた。この万感の涙を、奥村は後悔する。達成感で、「今までの流れが切れてしまった」。庄司も「ほっとして。これでいいだろうと」。2日後の準決勝、優勝した前橋育英(群馬)に敗れた。
ほろ苦さも混じるが、それぞれが糧を得た大会だった。奥村は「最初から結果を決めつけない。相手がどこでも自分たちの力を出す。そんなことを教わった」。そして、「やっぱり目標は高く」。プロの世界でレギュラー奪取を目指す中、常にある思いだ。
都内の大学に進んだ庄司は、その後野球部を退部して山形に戻るなど曲折を経た。「ベスト4投手がやめたとうわさされ、監視されているようで。ベスト4にならなきゃよかった」と思ったこともある。それでもやはり、「山形で一番の歴史を作れた誇りは消えない。自信を得て、内向的だった自分も変わった」。いまもたまに、この夏の戦いの映像を見返す。
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〈おくむら・のぶゆき〉 1995年生まれ、滋賀県出身。日大山形高から巨人入りし、15年にヤクルトへ移籍。昨季は44試合に出場し、今季の1軍定着をめざす。