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島根BEST GAME SELECTION
2010年第92回1回戦
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1 2 3 4 5 6 7 8 9 計 仙台育英宮城 0 0 0 1 0 2 0 0 3 6 開星 1 0 0 2 0 0 2 0 0 5 -
開星、悪夢の落球
九回2死までリ―ド。そして、打球は中堅へ。誰もが開星の勝利を確信したが、中堅手が落球。その後逆転負けを喫する。
勝利確信の直後…開星、悪夢の落球 苦い経験も今は財産
2018年3月9日20時21分
(2010年1回戦、開星5―6仙台育英)
「何が起こったのかわからなかった」
2010年8月11日。島根代表の開星は、東北の強豪、仙台育英(宮城)との1回戦で、1点をリードして九回2死満塁のピンチを迎えた。マウンドにいた2年生エース、白根尚貴がスライダーを投じると、外野に飛球が上がる。「勝った」。白根はボールの行方も見ず、試合後の整列のために本塁方向へ歩き出した。そして、両拳を握って喜んだ。
しかし、次の瞬間。落下地点に入った中堅手のグラブからボールが転がり落ちた。白根の目の前を同点の走者、逆転のランナーが次々と駆け抜けていく。「まさか落とすとは……」。ぼうぜんとするほかなかった。
九回、白根は簡単に2死を奪った。あと1死。ここからだった。安打に死球、失策、安打で満塁に。一打逆転のピンチを迎えた。「とにかく苦しかった。さっさとバットに当てて前に飛ばしてほしいと思ってました」。あの場面、この日の167球目は、真ん中へのスライダーを選んだ。「打たせたいがために、ストレートではなく遅い球を投げた」。飛球を打たせたところまでは思惑通り。ベンチにいた就任1年目の山内弘和監督も、3万6千人の観客も、開星の勝ちを疑わなかった。だが、落とし穴があった。
身長185センチ、体重91キロと大柄だった白根は、マウンドや打席ではふてぶてしい態度を見せた。「山陰のジャイアン」と呼ばれ、この試合でも、投打でチームを引っぱる存在だった。
投手としては、立ち上がりから苦しんだ。三者凡退の回は一つもなく、計10四死球。「もとからリズムがそんなにいいタイプではなかった」。それでも、なんとか粘り、バットで自らを助けた。
一回の第1打席こそ空振り三振に倒れたが、その後は3打席連続で長打。特に七回の第4打席。先頭で打席に入った白根は左越えに本塁打を放った。カウント2ボールからの3球目をバットの芯でとらえた。「あれから高校生活はもう1年ありましたけど、それを含めても一番完璧に近いホームラン」。3安打3打点。八回までは間違いなく、この試合のヒーローだった。
しかし、逆転されて初戦敗退。「油断とか気持ちの緩みの面で一番教訓になった。小学校から野球をずっとやってますけど、こういう試合を体験したのは初めて。その後の野球人生でアウトになるまでボールを追いかけるとか、フライは両手で捕るとか、基本を大切にするようになりました」
あれから8年。ドラフト4位でプロ野球ソフトバンクに入団し、けがもあって育成選手に格下げされた。トライアウトを経て、DeNAに入団。今は外野手としてプレーしている。
この年の開星は激動の1年だった。春の選抜大会で21世紀枠の向陽(和歌山)に1―2で敗れ、当時の野々村直通監督が不適切な発言をして辞任した。選抜大会後に予定されていた練習試合や毎年恒例の合宿も中止。グラウンドに「お前らなんか野球をやめてしまえ」と罵声を浴びせに来る人もいた。バトンを引き継いだ山内監督は「とにかく我慢しようって。勝って、開星の力を証明するしかないって言い続けました」。
そんななか、夏の甲子園にも出場し、仙台育英と熱戦を演じた。山内監督は「甲子園で散れたことに感謝ですよ。選手にも『ありがとうね』と言いました」。
2010年のできごと
- 日本航空、会社更生法の適用を申請
- 小惑星探査機「はやぶさ」が帰還
- AKB48がヒットチャート席巻
いまもチームを率いる山内監督は、練習や試合で軽率なプレーを見つける度、「ゲームセットになるまで分からんぞ」と厳しく指導しているという。
8年前の苦い経験は、開星の財産になっていた。
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〈しらね・なおき〉 1993年、松江市生まれ。夏の甲子園は92、93回に出場。2012年、ソフトバンクにドラフト4位で入団。16年からDeNAに在籍。