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(Timely)木内マジック、「一球入魂」の先に 安藤嘉浩

2020年11月28日05時00分

 「茨城のチームは飛田(とびた)さんの教えもあってマナーはいいのだが、勝負への執着心がなかった。転んでもただで起きぬ関西風のがめつい野球に方向を変えた」

 「全国高校野球選手権大会70年史」(1989年刊行)に収録された「高校野球風土記・茨城」で、常総学院監督だった木内幸男さんが語っている。飛田さんとは同郷の偉人、飛田穂洲(すいしゅう)さん。早大の初代監督で、「学生野球の父」と呼ばれ、「一球入魂」の言葉を唱えたことでも知られる。

 木内さんは茨城県立土浦一高で野球に打ち込んだ。卒業後はコーチになり、3年後から監督に。57年に、女子校から共学となって10年もたたない取手二に移ったが、負け続けた。62、67年は東関東大会に進出しながら習志野(千葉)に敗れ、74、75年は茨城大会の決勝で涙をのんだ。

 46歳になる77年夏に甲子園初出場を果たすまで、実に20年以上を要している。

 「恩師も当初は飛田先生の言われるような野球をしていたそうです。勝ち負けより、きれいな野球。葛藤、試行錯誤があったと思います」。常総学院で主将を務めた竹内達郎さん(47)は言う。このコラム冒頭の一節を筑波大大学院の修士論文で引用し、教員として高校野球に携わる。今夏までは10年間、飛田さんの母校でもある水戸一高で監督をした。

 竹内さんは「恩師は生粋の勝負師でもあった」と語る。鋭い観察眼で選手の長所、特性を見抜き、それを生かしてチームを作る。知恵と工夫で相手に立ち向かう中から「木内マジック」と呼ばれた用兵や作戦が生まれ、「のびのび野球」と評されたプレースタイルが花開いていった。

 では、木内野球は飛田野球の対極にあるのか。「飛田先生の野球観を全否定するのではなく、教育と勝負を両立させる野球を具現化されたんだと思います」

 木内監督率いる取手二は84年に全国制覇を果たし、常総学院でも春夏1度ずつ頂点に立った。木内野球は全国に新風を巻き起こし、目標にされる存在になった。

 監督退任後は、ぼくも土浦市営球場で一緒に試合を観戦したことがある。「次の球、狙ってけ」「ここはエンドランだっぺ」。茨城なまりのひと言ひと言に感じ入った。24日、89歳で他界。茨城が生んだ希代の名将だった。(編集委員)

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