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(白球の世紀:86)育てることが喜びなんだ 高校野球

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2018年5月15日16時30分

 ■ありがとう 夏100回 これからも

 1974(昭和49)年の第56回全国高校野球選手権大会に出場したあと、佼成学園(東京)の監督、今西錬太郎(93)を取り巻く環境は変化する。

 学校が勉学重視の方針を従来以上に強く打ち出し、野球部に生徒が集まりにくくなった。部員が14~15人しかいない時期もあった。野球経験のない生徒も入部してきた。

 今西は振り返る。

 「それでも、ぼくは練習を緩めなかった。いい選手がいても、いなくても、同じように練習しました。この子らを少しでもうまくしたろうと思って」

 環境は変わっても、甲子園を目指し、努力することに変わりはなかった。

 「何をふらふらしとんねん。しっかりせんかい!」

 今西の声が響く中、不器用な選手たちが懸命に球を追った。

 82年夏、当時57歳の今西は野球雑誌の記者に語る。

 「初めのうちはとにかく甲子園へ、ということでシャカリキになりました。しかし次第に、高校生に野球を教えることの魅力というのは、野球を土台にしていい社会人になって帰ってきてくれることだ、というのがわかってきたんです。そりゃ目標がなけりゃアカンですが、甲子園だけ、というのはむなしいですよ」(「週刊ベースボール」82年7月19日号)

 今西の監督在任中、佼成学園は東京の大会で、8強や16強の位置をほぼ維持したが、甲子園出場は74年が最後となった。

 86年春、今西は27年間勤めた佼成学園を退職した。

 朝日新聞の1面コラム「天声人語」がこう書いた。

 「プロ野球の投手として八十八勝の成績を残し、技術の極を追求した人が、今は技術を語らず、縁の下の力持ちたちの精進を語る。ろくにバットを振れなかったひよわな少年が、外野に打球を飛ばせるようになった時の喜びを語る。『そういうことのすばらしさを忘れたら高校野球じゃありません』と今西さんはいった」(86年3月25日付)

 (上丸洋一)