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(白球の世紀:45)総督府、大会に「待った」 高校野球

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2018年3月13日16時30分

 ■ありがとう 夏100回 これからも

 計画は1カ月でひっくり返った。

 朝鮮で全国中等学校優勝野球大会の地方大会を開く――。

 そうした趣旨の社告が大阪朝日新聞朝鮮版〈注〉に載ったのは、1916(大正5)年3月25日、大阪・豊中グラウンドで第1回大会が開かれた半年後のことだった。

 ところが、植民地朝鮮の教育行政をつかさどる朝鮮総督府学務局が、大会参加予定の4校に「学校名を出して競技に参加してはならない」などと通告して「待った」をかけた。

 主催の大阪朝日京城通信部は学務局から次の説明を受けた。

 「朝鮮は過渡時代にあるを以(もっ)て学生の野球競技参加を不適当と認む」

 満足できる回答ではなかった。しかし、学校側が参加を取り消したため、大会開催は直前で断念するほかなくなった。

 京城通信部は4月28日付朝鮮版に掲載した大会中止の社告で不満をあらわにした。

 「野球の利弊に就(つい)ては吾人(ごじん)は既に深き研究を経たり今更総督府より之(これ)を聞くの要なし」

 「朝鮮の地が単なる運動競技といふが如(ごと)きものに対しても、尚(なお)活発発地の自由を得る能(あた)はざるを最も遺憾とするものなり」

 全国大会の運営に関わった大阪朝日記者、中尾済は、のちにこう振り返る。

 ――野球競技とはいえ、内地人と朝鮮人が勝敗を争うとなると、統治上、よろしくない結果を招く恐れがある、と学務局は考えたようだ。野球を通じて親しむ方が融和が早まるとも思われたが、結局、押し切られた(要旨、朝日新聞社編「全国中等学校野球大会史」29年刊)。

 野球が朝鮮の人々に日本への対抗心をかき立てることを統治者は恐れた。10年に韓国を併合して以来6年。初代総督、寺内正毅(まさたけ)の強権政治(武断政治)で人々の自由は抑圧されていた。

 3年後の19年3月、朝鮮全土で独立運動がわき起こった。

 〈注〉地方版名は時期によって変わるため連載では「朝鮮版」で統一する。(上丸洋一)