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(白球の世紀:44)朝鮮大会とは何だったか 高校野球

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2018年3月12日16時30分

 ■ありがとう 夏100回 これからも

 《第7章》

 京都市上京区の同志社大今出川キャンパスに、2人の詩人の詩碑がある。

 一人は尹東柱(ユンドンジュ)。1942(昭和17)年、植民地朝鮮から日本に渡り、英文科で学んだ。しかし、独立運動を企てたとして逮捕され、日本敗戦の半年前に福岡で獄死した。27歳だった。

 もう一人は鄭芝溶(チョンジヨン)。京城(現ソウル)の徽文高等普通学校(日本の中等学校に相当)から23(大正12)年5月に同志社大予科に進み、京都で6年間すごした。北原白秋に認められ、長く読み継がれる金素雲(キムソウン)訳編「朝鮮詩集」(岩波文庫)に作品10編が収録されている。

 鄭芝溶を記念して昨年11月、ハングルによる作文コンテストが同大であった。韓国からの留学生や在日の学生ら約50人が会場の教室に集まった。

 韓国から参加した漢陽大教授(韓国古典文学)の高雲基(コウンギ)(56)に私の来意を伝えた。

 「鄭が来日した3カ月後の23年8月、鄭の母校である徽文高普が兵庫県の鳴尾球場で開かれた第9回全国中等学校優勝野球大会に朝鮮代表として出場しました。そのことを鄭が何か書き残していないか調べています」

 朝鮮では21年から40年まで、地方大会の一つとして朝鮮大会が開かれた。全員朝鮮人のチームが優勝したのは、23年の徽文高普だけ。あとは日本人チームか日朝混成チームだった。

 朝鮮の人々にとって大会は、どんな意味があったのか。鄭を糸口に探ることができないか。

 高が記者の来訪を紹介すると学生から「ほーっ」と声があがった。韓国有数の名門校である徽文高校の前身が、日本の野球大会に出ていたことを学生たちは初めて知った様子だった。

 鄭の作品を日本語訳した独協大特任教授、沈元燮(シムウォンソプ)(60)に会場で会った。後日、「文章は見当たらない」と返事があった。

 鄭が何も書き残さなかったとしたら、そこにもある意思が示されているのかもしれない。

 朝鮮大会とは、何だったのか。(上丸洋一)