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(白球の世紀:40)手に汗握った志賀直哉 高校野球

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2018年3月6日16時30分

 ■ありがとう 夏100回 これからも

 「こんなに緊張した素晴らしい優勝試合を見るのは初めてだ……手に汗を握って時を忘れてしまった」――。甲子園で小説家の志賀直哉は語った。

 1932年8月20日にあった第18回全国中等学校優勝野球大会の決勝で、21日付大阪朝日新聞は球場にいた著名人の感想を集めた。試合は、松山商(愛媛)が景浦将(まさる)の活躍で九回表に同点としながら、延長十一回で中京商(愛知、現中京大中京)にサヨナラ負けを喫す。志賀に続き、15年の第1回大会優勝校、京都二中(現鳥羽)の主将だった中啓吉は「(九回の)3点、あのときこそは松山が本来の姿に帰っての力でした」と述べた。不運に泣いた景浦はプロ野球草創期の阪神で活躍するが、その後2度目の召集でフィリピンに行き戦死する。

 中京商は、連覇を支えた4年生エース吉田正男を残し、主力7人が卒業。「弱体化したチームの建て直し」(中京高校野球部45年史)が課題だった。

 同校は翌春の第10回全国選抜中等学校野球大会に出場し、33年4月12日の準決勝で、好投手楠本保がいる明石中(兵庫、現明石)と対戦。七回裏2死満塁からの死球が決勝点となり、0―1で敗れた。夏に向け、壁の厚さを感じさせる一戦だった。

 野球統制令などで運動界に前年春猛威を振るった当局の統制は33年春、「学問の自由」と「自治」を掲げる大学に及ぶ。

 中京商が惜敗する2日前の4月10日、内務省は京都帝国大法学部教授の滝川幸辰(たきかわゆきとき)の著書「刑法読本」と「刑法講義」を発売禁止にした。自由主義者で知られた滝川を、文部大臣の鳩山一郎は辞職か休職とするよう京大総長の小西重直に要求し、拒否されると政府は5月26日、滝川の休職処分を発令した。法学部の教授らは、全員が辞表を提出し、抵抗の意を表明した。いわゆる「滝川事件」である。

 この時期、貴族院の菊池武夫や衆議院の宮沢裕ら復古主義を奉じ自由主義的気風を攻撃する政治家がいた。世相は息苦しさを増した。(編集委員・永井靖二)