108年前の高校野球「第1回大会」決勝を再現 秋田が鳥羽に雪辱
戦前の1915年、第1回全国中等学校優勝野球大会(全国高校野球選手権大会の前身)の決勝で戦った秋田(秋田市)と鳥羽(京都市南区)の硬式野球部が1日、秋田市のこまちスタジアムで記念試合をした。秋田が先行して鳥羽が追いつく当時をほうふつとさせる試合展開で、終盤に突き放した秋田が4―1で勝利。108年前の雪辱を果たした。
第1回大会は8月18~23日、大阪の豊中グラウンドで10校が参加して開催された。東北から唯一出場した秋田中(現秋田)は、三重四中(現宇治山田)、優勝候補の早稲田実=東京=を破り、決勝で京都二中(現鳥羽)と対戦した。
秋田中は七回に1点を先行したが、八回に追いつかれて延長戦に。迎えた十三回、秋田中は失策絡みで失点し、1―2でサヨナラ負けを喫した。秋田中の選手たちは去り際、「京都軍万歳」と叫んで京都二中の健闘をたたえ、観客の称賛を浴びたという。
この日の記念試合を終え、秋田の長沢晃汰主将(3年)は「伝統を感じながらプレーしようと話し合っていた。勝利につながって良かった」と笑顔。鳥羽の平沢拓海主将(同)も「当時と同じような投手戦になり、記念試合にふさわしい試合ができた」と晴れやかだった。両主将は「甲子園の舞台で再戦したい」と口をそろえた。
秋田を率いて春夏7回、甲子園出場を果たした元監督の小野巧さん(68)は球場で観戦した。80年代には両校野球部のOB戦や現役戦が行われ、OB戦は2勝2敗、現役戦は秋田の2勝0敗の記録が残っているという。
「監督時代に甲子園に出場した際、宿舎で京都二中OBから激励を受けたこともあった。第1回大会の先輩たちに感謝し、今後も定期的に交流が続いてほしい」と話した。
記念試合は学校創立150周年を迎えた秋田が、鳥羽に対戦を申し込んで実現した。試合前には両校長が胸に「YADOME」(秋田中)「KSMS」(京都二中)と書かれた当時の復刻ユニホームと帽子で始球式をした。秋田のブラスバンドや応援団も駆け付け、約400人で応援。その半数が鳥羽のスタンドに陣取り、鳥羽に声援を送った。(滝沢隆史)