38年前の苦い思い出を抱えて 光の投手コーチが選手に願うこと
(27日、第95回記念選抜高校野球大会第8日 山梨学院7―1山口・光)
光の投手コーチを務める田上(たがみ)昌徳さん(55)は一塁側アルプス席からエース升田早人の投球をじっと見つめていた。八回途中8安打7失点。「高めに浮いていた。心配していたことが出た」
かつてこのマウンドに立った。38年前、宇部商(山口)のエースとして第57回選抜大会(1985年)に出場し、2回戦で清原和博、桑田真澄を擁するPL学園(大阪)に敗れた。
その夏の第67回全国選手権で甲子園に戻ってきた。身長170センチの小柄な3年生左腕は、直球とカーブだけで相手に立ち向かった。決勝まで進み、PL学園に雪辱する機会を得た。しかし、準々決勝、準決勝で計7失点と調子を落としており、登板することができなかった。
左翼を守り、3打数無安打。3―4でサヨナラ負けし、号泣した。
悔しさだけが残った。この大会の写真は1枚も持っていない。「甲子園に出たからといっていい思い出ができるとは限らない。38年前の悔しさを伝えるために指導者をやっているようなもの」
プロ入りを望んでいたが、声がかからず社会人野球の新日鉄光へ進んだ。
2年目、練習中にフェンスに激突し、利き腕の左ひじを粉砕骨折した。その後、「ねずみ」と呼ばれる軟骨のかけらを除去するため、再び左ひじを手術した。
完全に回復することはなく、25歳で一度は引退した。その後、新日鉄光がクラブチームになってから復帰したものの、不完全燃焼のままだった。
41歳で現役を退いた後、徳山大(現周南公立大、山口県周南市)でコーチを務めた。
2015年、社会人野球の後輩の仲介で、投手コーチを探していた光で指導を始めた。
何より、故障させないことを大事にしてきた。
まずは体力をつけさせてから、投球フォームを固め、その後、球速アップに取り組む。
再現性が求められる投手は練習で回数を重ねる必要がどうしても出てくる。「だから故障をしない正しいフォームをまず身につけないといけないのです」
わたしが長く取材してきた陸上競技でも、マラソン選手は「練習を継続できること」が最も重要と言っていい。故障するとそれが途切れ、積み上げてきたものがゼロに戻ってしまう。野球の投手も同じだろう。
手塩にかけてきた升田はこの日、打ち込まれたが、彦根総合(滋賀)との初戦は完封した。被安打3、11奪三振、99球とすばらしい内容だった。
もう一回り体を大きくすればプロでやっていけるポテンシャルがある、と田上さんは見ている。
甲子園に悔しい思い出だけを残してほしくない。
けがで将来が閉ざされるようなことがあってもいけない。
「その手助けができればいい」
苦い思いを胸に、また選手たちに伴走する。(酒瀬川亮介)