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歴史は「打撃練習禁止」のグラウンドで始まった 甲子園初の彦根総合

2023年3月22日15時33分

朝日新聞DIGITAL

 彦根総合(滋賀)が22日、春夏通じて初の甲子園出場を果たした。惜しくも敗れたが、部の草創期を知る人たちは特別な思いで試合を見守った。

 野球部の創立は2008年5月。長髪をなびかせてキャッチボールをし、ウォームアップもなくフルスイングする。そんな数人の同好会から昇格した。

 練習場所は住宅地のグラウンドの片隅。民家が間近に迫り、打撃練習は禁止だった。それでも部員は白球を追っていた。

 その姿を目にしたのが、後に監督になる西岡義夫さん(86)だった。1960~70年代、監督として同じ県内の伊香を3度甲子園に導いた。

 自身は高校時代、部員不足で野球部がなくなり、公式戦には出ていない。彦根総合の校長に県高校野球連盟への加盟を促すと、「情熱があるなら監督をやって下さい」と頼まれた。09年4月、72歳で再びグラウンドに戻ってきた。

 その年の春、10人のチームが公式戦に初めて出場した。初代主将になった当時2年の出口雄大さん(30)は今も、歴史的な「1点目」を鮮明に覚えている。

 出口さんが一塁走者で、三塁にも走者がいた。「チャンスだな」と思っていると、三塁走者があごをクイッと動かした。「やれよ」という意図を感じ、ノーサインで二盗した。相手捕手が送球する間に、三塁走者が生還。試合は、1対11の六回コールド負けしたが、「点が取れた。次は打って取るぞ」と思えた。

■ネットと木材で…あの設備も手作り

 その一方で、練習環境も整えていった。石拾いや草むしり、部員らがつるはしで穴を掘ってベースを埋め込んだ。西岡さんが知人の住宅業者やゴルフ練習場から木材とネットを譲り受け、バッティングケージも手作りした。

 2代目主将の道下和樹さん(29)は、西岡さんが監督に就いた年に入学した。「野球部をつくるなんて面白そう」。中学の野球部で4番を務めた。試合に出たかったし、強豪校とは違う楽しさがあると思った。

 週末は、広大なグラウンドで強豪校との練習試合が組まれた。敦賀気比、近江、愛工大名電――。道下さんは「広いグラウンドで思いっきり野球をさせたいと一番思っていたのは、西岡監督だったのかもしれない」と振りかえる。

 道下さんが2年の夏、公式戦初勝利もつかんだ。出口さん、道下さんらが卒業し、西岡さんも14年に監督を退いた。寮が建てられ、22年に専用グラウンドもできた。

 今年1月下旬、選抜出場が決まった。

 「西岡です」

 西岡さんは、出口さんや道下さんらに卒業以来の電話をかけた。母校の甲子園出場を伝え、一緒に応援しようと誘った。

 東京の引っ越し会社で働く出口さんは仕事が忙しく、甲子園での観戦は叶(かな)わなかったが、「心から応援します」と取材に答えた。

 仮設機材会社に勤める道下さんは滋賀県近江八幡市から、同期だった植田渚さん(28)と甲子園に駆けつけた。11年ぶりに西岡さんと会い、「お元気で、まったく変わっていない」と喜んだ。「応援もしたかったが、監督に会いたかった」という。「甲子園で監督に会う機会を、後輩たちがつくってくれた。すごいことです」

 西岡さんはこの日、当時の部員ひとり一人の様子や練習内容などをつづった「Baseball Note」を持参した。「甲子園につながる第一歩は、間違いなく彼らがつくった」と西岡さん。試合後、「つらい時期もあったと思うけれど、そこからつながって、今日という日があると思う」と語った。(荻原千明、マハール有仁州)

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