佐々木朗希のサイン色紙に励まされ 同郷の仙台育英の左腕、甲子園へ
(21日、第95回記念選抜高校野球大会2回戦 仙台育英―慶応)
史上5校目の夏春連覇に挑む仙台育英(宮城)は、慶応(神奈川)との初戦を迎える。
昨夏の選手権大会の優勝メンバーでもある左腕の仁田陽翔投手(3年)の部屋には、1枚のサイン入りの色紙が飾ってある。
同じ岩手県大船渡市で育ち、ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)準決勝のメキシコ戦で先発した佐々木朗希投手(ロッテ)のものだ。
仁田投手は小3の時に地元の猪川野球クラブで野球を始め、大船渡一中に進んで軟式野球部に入った。猪川野球クラブと大船渡一中の4学年上の先輩に、佐々木投手がいた。
佐々木投手は仁田投手の兄・恒輝さんと同級生だったので、時折家に遊びに来ていた。
ただ、仁田投手は佐々木投手と直接話したことはなかったという。
高1の時、話せるチャンスが訪れた。
正月に帰省した時、すでにプロ入りしていた佐々木投手の実家に行った。本人が出てきて、サイン色紙を直接、手渡してくれた。
「背が高く、すらっとしていた」。まさか本人が出てくると思わず、特に言葉を交わすことはできなかった。
でも「雲の上の存在」へのあこがれは、さらに強くなった。
いまの目標はプロ入りだ。
直球は最速で147キロあるが、制球が課題だった。視野を広く保ってリラックスして投げることを意識するため、昨秋に投球フォームを変えた。実戦経験を積み、制球にも自信がついてきた。
朝昼晩に欠かさずストレッチをして、基礎的なフィジカルの強化にも取り組んだ。「選抜大会で、自分の現在地を確かめたい」
幼い頃には、東日本大震災も経験した。
12年前の3月11日、母の美千子さん(49)と一緒に市内のスーパーにいた。
ガタガタと大きく揺れ、棚から商品が落ちて散らばった。床が波打つ中、当時5歳だった仁田投手は美千子さんに抱きかかえられて駐車場に避難した。驚いたのか、泣いていたという。
自宅は無事だったが、ガスや電気、水道などが止まり、1週間ほど祖父母の家に身を寄せた。大船渡市では400人以上の死者・行方不明者を出し、遠縁の親戚も亡くなった。
佐々木投手と同じ被災地出身の選手として、仁田投手も甲子園のマウンドで「地元を勇気づけられるような投球をしたい」と誓う。(武井風花)