柔道選手の夢をあきらめ、絶望した日々 「機動破壊」が救ってくれた
(24日、第95回記念選抜高校野球大会2回戦 群馬・健大高崎2―7兵庫・報徳学園)
「あの時の私を救ってくれた」。伊藤利花子さん(17)が、心からそう思える存在がある。
それは健大高崎高校(群馬)の野球部だ。
新潟県新発田市出身。兄弟の影響で、小3から柔道を始めた。技の形を覚えれば、大柄な相手でも簡単に投げることができ、楽しかった。
週4回、放課後から午後9時まで稽古を重ねた。中2の秋には、新潟県大会の個人戦で8強入り。特別な練習会や海外選手との交流試合に参加できる県の強化指定選手にも選ばれた。
だが、同じころ、左ひざに異変が生じた。
練習を終え、家に帰ると毎回、左ひざがズキズキと痛んだ。家の階段を上れず、軽い屈伸すらできない日もあった。稽古のしすぎで左ひざの筋肉に炎症が起きていた。
医者に告げられた。「柔道をやめて、安静にしない限りは治らない」
簡単に柔道をやめる決断はできなかった。医師の反対を押し切り、左ひざをかばいながら稽古を続けたが、痛みは悪化するばかりだった。
「このままでは私生活もできなくなる」
中3になる直前、父と話し、6年間続けてきた柔道をやめる決断をした。
悔しくて、毎晩部屋で涙を流した。
「なんのために、柔道を頑張ってきたんだろう」
柔道が盛んな高校をめざしていたため、高校選びも一からやり直した。何か柔道以外の目標を見つけたかった。
頭に浮かんだのが、高校野球のマネジャーだった。
野球好きの父の影響で、甲子園大会をよくテレビで観戦していた。懸命にプレーする球児が好きだった。何より、自分も球児と同じように「一度、甲子園のグラウンドに立ってみたい」と思った。
野球に詳しい父に相談してみた。
「高校野球のマネジャーをめざしたい。どこの高校がおすすめ?」
「群馬の健大高崎の野球がおもしろいぞ」
初めて聞いた学校名。動画投稿サイトで「健大高崎 野球」で検索してみた。
出てきた動画は、試合で何本も本塁打を放つ強力打線に、相手のわずか一瞬の隙を突く「機動破壊」と呼ばれる走塁。迫力満点で、見ているだけでワクワクしてきた。
「こんなチームの一員になりたい。甲子園にも連れて行ってくれるはず」。そう確信した。
スコアブックの書き方から覚えた。父の知人に教わったり、ネットで野球の動画を見て実際に書いてみたり。わずか1カ月で完璧に書けるようになった。
マネジャーになる日が楽しみで、いつしか柔道への未練は消えていた。
2021年春、健大高崎高に合格し、野球部のマネジャーになった。授業を終えて午後5時にグラウンドに出ると、部室の掃除や練習着の洗濯などをする。
毎日心がけていることは、休憩中に選手と話をすること。激しいレギュラー争いを繰り広げている選手たちに「少しでもリラックスして野球を楽しんでほしい」との思いからだ。
チームは昨秋の関東大会で4強入り。今年1月、選抜大会への出場が決まった。
チームの一員として間近で見る健大高崎の野球は、入学前に見た動画の何倍もワクワクする。
いま、心からこう思える。
「この高校を選んで良かった」
3月24日に迎える報徳学園(兵庫)との初戦は、記録員としてベンチ入りした。
「甲子園はすべてがキラキラして見えて、声援も反響してとても良い場所だった」
チームは一回に先制したが、直後に逆転を許して2―7で敗れた。
「仲間にはまず『ここに連れてきてくれて、ありがとう』と言いたい。そして『夏も連れてきてね』と伝えたい」(吉村駿)