大垣日大の権田、泥だらけの奮闘 コロナ禍に泣いた兄の分まで暴れた
(18日、第95回記念選抜高校野球大会1回戦 岐阜・大垣日大3-4沖縄尚学)
八回、1死一、二塁のピンチ。追加点を許せば試合の流れが決してしまう場面で、三塁手の権田結輝選手(2年)の前に強い打球がきた。はじいても慌てず拾うと、自ら三塁を踏んでから一塁へ送球。併殺をとってエースの山田渓太投手(3年)をもり立てた。
コロナ禍、甲子園でプレーすることができなかった兄の分まで暴れたい――。権田選手は、こんな思いを胸に初戦を戦っていた。
兄の翼さんは大垣日大の3年生だった2020年夏、県内の頂点に立った。だが、甲子園の土は踏めなかった。優勝したのが、コロナ禍で選手権大会が中止となった代わりに各県で開かれた「独自大会」だったからだ。
中京と戦った独自大会の決勝で左翼手として先発出場した翼さんは、3番手投手としてマウンドへ。タイブレークが始まった延長十回の裏に無死満塁のピンチを切り抜けるなど活躍し、チームの勝利に貢献した。
マウンドで歓喜の輪の真ん中にいた翼さん。当時中学2年生の権田選手はスタンドで応援していて、その雄姿がいまも目に焼き付いているという。
日本大学に進学した翼さんは硬式野球部へ。今年1月に選抜大会の出場が決まると、「おめでとう。自分らの時はコロナで甲子園に行けなかったから、俺の分まで頑張ってこいよ」と電話口で喜んでくれた。
「兄の分まで頑張るのと同時に、甲子園は自分の夢の場所だった。そこで、精いっぱいプレーしたい」。権田選手は攻守でひたむきな姿勢を貫いた。
一回の守備でゴロをさばいて笑顔を浮かべると、五回には中前安打を放った。1点を追う九回は2死から遊ゴロを放つと、一塁へ頭から飛び込み、最後の打者に。甲子園での白星はお預けになったが、泥だらけのユニホームが奮闘を物語っていた。(上山浩也)