「あの日」乗り越え、つかんだ甲子園 長崎日大・中村浩聖選手
「まさか息子が甲子園に行けるなんて」
2月下旬の週末、長崎日大グラウンド。楽しげに白球を追う中村浩聖(こうせい)選手(3年)の姿に目を細めながら、母親の祐美子さん(46)が「あの日」を振り返った。
3年前の冬。中学2年生だった中村選手は地元であった駅伝に出場して交通事故に遭った。ゴールしない息子に「来ないなあ」と気をもんでいると、友達の親が駆けつけ、伝えてくれた。後ろを走っていた乗用車が沿道に気を取られ、追突したという。
左足を骨折し、胸の骨に4カ所のひびが入る大けが。救急車で病院に運ばれ、1カ月の入院を余儀なくされた。退院後もリハビリの日々が続いた。
球児だった父親の影響で始めた野球。中学の野球部では遊撃手だった。だが、けがは思うように癒えず、部活に戻っても満足なプレーはできなかった。
「良くなるまでに1年半かかりました。2年生のうちは全く野球ができず、3年生になってもしばらくは代打で出る程度でした」と祐美子さんは振り返る。
復帰したのは中学最後の夏の県大会。「浩聖をグラウンドへ」を合言葉に勝ち進んできた決勝で、監督が遊撃手に指名した。敗れはしたが、全力で守り切った。
仲間たちに励まされ、あきらめかけた野球への思いが強まったに違いない。「高校でも野球がしたい。甲子園に近づける学校に行く」。長崎日大への進学を自ら選んだという。
「苦しい時期もあったけれど、そのおかげで頑張れる自分がいる。野球を続けて本当に良かった」と中村選手は話す。
今は控えの内野手。沖縄であった九州大会はベンチ入りしたものの出番はなかった。自分の強みはどんな内野のポジションもこなせること。打撃にも自信がある。いざ「行け」と言われたら、守備でも代打でも結果を出せるよう、万全の準備で臨みたいという。
祐美子さんは「ベンチ入りするだけでも夢のようですが、出番が回ってきたらうれしい。バッティングの調子も良いみたい」と声を弾ませる。
18日、第95回記念選抜高校野球大会が開幕する。苦しみを乗り越えた我が子があこがれの舞台でどんなプレーを見せてくれるのか。楽しみにしている。(三沢敦)