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工場から甲子園へ 一度あきらめた指導者の道、人生変えた1本の電話

2023年3月24日11時00分

朝日新聞DIGITAL

 春夏合わせて甲子園14回目となる履正社(大阪)の多田晃監督(44)は、就任1年で初の甲子園に挑む。一度はあきらめた指導者の道。恩師の粋な計らいに救われたという。

 多田さんが監督に就任したのは2022年4月のこと。東洋大姫路(兵庫)を率いる岡田龍生前監督の後を継いだ。

 選手時代の多田監督は、履正社の捕手で1年の秋からレギュラーとして出場。その後主将を務めた。

 当時の大阪はPL学園や北陽(現・関大北陽)、近大付などの強豪校がひしめき、「どこが甲子園に行ってもおかしくなかった」。

 甲子園初出場を目指す履正社の練習は厳しかった。「入学当初は、毎日グラウンドに隕石(いんせき)が降ってこないかと思っていました」

 3年になってからは、チーム作りの方向性や配球の相談など、体育教官室で岡田前監督と議論を交わした。

 最後の夏。1996年の第78回全国高校野球選手権大阪大会は5回戦で敗れた。

 「岡田先生ともう一度、一緒に野球がしたい」。そんな思いが募った。

 ただ、夢を追い続けた体はぼろぼろだった。大学で野球ができる状態ではなかった。

 「オレにはむりや」。指導者への道をあきらめ、大手電機メーカー「東芝」の工場で働き始めた。

 東芝では軟式野球部に所属。仕事は、工場で冷蔵庫にガスを充塡(じゅうてん)したり、溶接をしたりした。週末は母校を訪れ、練習を手伝った。充実していたが、どこかもやもやしていた。「指導者になる夢を忘れられなかったんでしょう」と振り返る。

■ノックを打ちにこい

 働き始めて最初の夏、転機が訪れた。

 履正社は大阪大会決勝で関大一を破り、春夏通じて初の甲子園出場を決めた。

 数日後、岡田前監督から電話が入った。

 会社の研修で静岡県内にいた。

 「甲子園にノックを打ちにこい」

 びっくりしたが、あこがれの甲子園に立てると思うと胸が躍った。

 夏休みを利用して大阪に戻り、大会期間中は選手たちと同じホテルで寝泊まりした。

 初戦の相手は専大北上(岩手)。甲子園のグラウンドに初めて足を踏み入れた。

 青々と輝く外野の天然芝、バックスクリーンは想像以上に大きかった。テレビで見ていた光景が、そこに広がっていた。

 「一生立てることはないやろ」と思っていた夢の舞台。グラウンドにいたほんの数分間の記憶は緊張からほとんど覚えていない。ただ恩師への感謝にあふれ、一球一球丁寧にノックを打ったことだけは覚えている。

■指導者になると決意

 甲子園が終わり、岡田前監督に相談した。「やっぱり教員になりたいです」

 「がんばれよ。応援するから」

 恩師の言葉は温かかった。

 会社員をしながら教員免許と大学卒業資格が得られる学校に入学。4年で教員免許を取り、2006年にコーチとして母校へ戻った。

 監督になって約1年。「あの甲子園のノックがあったから、今の自分がある」

 伝統校の看板を背負うことに重圧も感じるが、充実した日々を送っている。

 守備やバントといった堅実なプレーを大切にする――。岡田前監督が築いた「履正社野球」を踏襲する。一方で、相手のバッテリーにプレッシャーをかける積極的な盗塁を増やすなど、独自の工夫も採り入れている。

 ただ岡田前監督のときから何一つ変わらないことは、選手と過ごす時間を大切にする姿勢だ。

 監督になって分かったことがある。岡田前監督の野球に対する熱量、そして選手たちへの気遣い。「あの日感じた恩を、今度は選手たちにお返しする番」と思っている。

 甲子園は人生の転機になった。「選手たちの人生にとっても、甲子園は特別な時間になる」と受け止めている。

 初めての甲子園が刻一刻と近づく。恩師からのタスキを胸に、新たな挑戦が始まる。(岡純太郎)

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