同じ舞台で父越えを 長崎日大・城島慶太郎選手
小学生のときに見た1枚のDVD。長崎日大(長崎県諫早市)の城島慶太郎選手(2年)が野球を始めたきっかけだった。
映っていたのは、球児だった父慶介さん(47)の姿。長崎日大が初めて選抜の切符を手にした1993年、三塁手として出場し、ベスト8に輝いた。続く夏も舞い戻り、1勝を挙げた。DVDは野球部同窓会がそのときの試合を収めたものだ。
諫早生まれ。父が指導していた小学校のソフトボールクラブで手ほどきを受け、白球を追う日々。中学に入る頃には、「お父さんの母校で野球をやりたい」と心に決めていた。
進学してからも、父はもう1人の「指導者」だ。グラウンドでの練習を終えて帰宅すると、ネットを張り、照明器具を取り付けた自宅の庭で特訓する。
何本とは決めず、納得いくまで素振りを重ねる。
「背筋が曲がっている」
「スイングを始めるときの位置が低くなっている」
アドバイスはいつも的確だ。トスバッティングや、バドミントンのシャトルを打つ練習にも最後までつきあってくれる。
沖縄であった昨秋の九州大会は控えの内野手としてベンチ入り。決勝の沖縄尚学戦に八回、代打で指名された。点差は2点。何としても追いつきたい。「絶対に打ってやる」。振り抜いた打球は右翼への大飛球に。だが、スタンドへはあと1メートルほど及ばず、右翼手のグラブに収まった。
「スイング力を上げるために体を大きくしよう」。父の勧めで冬場は「食トレ」にも励み、体重は5キロほど増えた。
輝かしい成績を残した父たちの代の後、チームは2回、選抜に出場した。だが、一度も勝っていない。23年ぶりに出場した昨春は九回2死まで追い込んだ後で同点に追いつかれ、延長十三回タイブレークの末に敗れた。悔し涙を流す先輩たちをアルプスから見つめていた。
DVDを見て以来、憧れてきた甲子園。「父と同じ舞台に立ててうれしいし、負けたくない」と城島選手。30年ぶりの「1勝」を自分のバットで呼び込みたい。(岡田真実、三沢敦)