あの強さの源は雪の上にあった 斎藤佑樹さんが確かめたかった光景
■斎藤佑樹「未来へのメッセージ」 北海道・駒大苫小牧へ
球児の声は真っ白なグラウンドに響き渡っていました。気温は零下5度です。
高校時代からずっと見たかった光景を、ようやく目の当たりにすることができました。
駒大苫小牧の「雪上ノック」です。
2006年夏の全国高校野球選手権大会決勝。早稲田実(西東京)のエースとして、3連覇がかかる駒大苫小牧(南北海道)と戦いました。延長十五回引き分け再試合の末、全国制覇を果たしました。
駒大苫小牧の「強さ」を嫌というほど思い知らされた決勝でした。ただ、僕がその強さを初めて体感したのは前年の秋です。
明治神宮大会の準決勝で対戦し、3―0と先行しました。しかし、四回途中から救援してきた田中将大投手(現プロ野球楽天)を打ち崩すことができません。六回に2点、七回に3点を奪われて3―5で逆転負けしました。
「同じ高校生なのに、なんでこんなに強いんだろう。雪の影響で僕らよりも練習機会は限られているはずなのに」
相手の諦めない姿勢に投げづらさを感じ、そんな風に思ったのをよく覚えています。
翌夏の再戦までに駒大苫小牧の雪上での練習の映像を見る機会があり、「守備力の高さはもちろん、強さの源がこの練習にあるのでは」と直感しました。
夏の決勝でも再び、その強さを体感させられ、いつか雪上での練習を見てみたいと思うようになったのです。
17年を経て、念願がかないました。今年の1月下旬、雪で覆われた駒大苫小牧のグラウンドを訪れると、足元がキュッキュッと鳴ります。
零下で雪が解けないから、グラウンドがぐちゃぐちゃにならず、ノックが可能なのだそうです。とはいえ、やはり雪上です。滑りやすいし、ボールは土の上よりも不規則に跳ねます。なにより、寒い。すぐに手がかじかみました。
そんななか、選手たちは平然とノックを受けていました。よく見ると、捕球へのスタートの切り方が独特です。小股でバババッと動き出し、いち早く打球の正面や落下地点に入ろうとしています。
1歩目を勢いよく踏み出さないのは転倒防止なのでしょうが、捕球地点までの移動がスムーズに見えました。1歩目を大きく踏み込めない分、1歩目の判断力が磨かれる。土の上よりも難しい状況だからこそ、準備への高い意識が自然と養われる練習だと感じました。
成田翔大主将(2年)はきっぱりと言います。「環境に左右されずにやるということを、常に意識しています。雪は、白い土です」
僕自身、身に覚えがありますが、人はなにかと「できない理由」を探してしまうものです。
「雪が降るから」「寒いから」……。駒大苫小牧の部員からは、そういった言い訳めいた空気を全く感じませんでした。
この雪上ノックが始まったのは、卒業生の佐々木孝介監督(36)が高校生のときだったそうです。
最初は当時の香田誉士史監督から冬季に屋外でのキャッチボールを提案され、北海道出身の佐々木監督も「え? マジか」と思ったそうです。
でも、やってみると、その日のうちに「雪の上でもできるじゃん」という認識が選手の間に広まり、ノックや打撃練習も同じように「意外とできるじゃん」となったそうです。
そして、佐々木監督が主将だった04年夏、駒大苫小牧は第86回全国選手権大会を制し、北海道に初めて深紅の大優勝旗をもたらしました。
今までの常識にはなかったトライが成果につながったことで、「どんな環境下でも勝てる」というスピリットがチームに備わり、駒大苫小牧の伝統になったのでしょう。
雪上で、もう一つ印象に残ったのが球児の「自律」した姿です。ノックの最中、選手からの大きな声は途切れず、互いに叱咤(しった)していました。
佐々木監督は押しつけるような指導はせず、選手たちに寄り添っています。
左翼ファウルゾーンでは、投手陣が筋力トレーニングをしていました。学校には屋内にトレーニングルームがあるのに、あえてこの場所を選んでいました。野手と同じ厳しい時間を共有しようとする姿勢に、芯の強さを感じました。
駒大苫小牧は18年春の選抜大会を最後に甲子園から遠ざかっています。それでも、雪上には確かな「強さ」の礎を感じました。(斎藤佑樹)