名将が退任ミーティングで語った感謝 高校野球・日大三の小倉監督
甲子園の名将がまたひとり、ユニホームを脱ぐ。日大三(東京)の小倉全由(まさよし)監督(65)だ。
母校でもある日大三を2度の全国制覇に導くなど、38年の指導歴の間に甲子園で積み重ねた白星は徳島・池田の蔦(つた)文也氏(故人)と並ぶ37勝。寮で選手たちと寝食をともにし、人間教育を重んじた。
選手たちから「監督さん」と呼ばれ、慕われた。退任を告げるミーティングは、その人柄がにじみ出ていた。
2月9日の放課後。東京都町田市の寮で、選手やマネジャーら約70人を前に、スーツ姿の小倉監督が立った。
公式戦で放ったホームランボールを選手一人ひとりに手渡し、2021年秋から22年夏までの戦いを振り返り始めた。
「(東海大)菅生に対して秋は(都大会準々決勝で)8―7。春は(都大会準々決勝で)3―2。夏(の西東京大会決勝)も勝って、うちにとって菅生との対戦が物語なんだよな」
「春はピッチャーが思うようにいかなくて。そんな中で夏の(西東京大会の)シードを取ってくれた。夏は(投手の)松藤(孝介)が頑張ってくれて、みんなが頑張ってくれて優勝。まずは3年生にお礼だ」
そして、こう言った。
「きょうみんなに集まってもらったのは、この3月で監督あがる。65歳という定年なんだ」
「1、2年生にははっきり言っていなかったし、3年生は定年が65歳だってことで『どうかな』と思っていたと思う。3月であがることは、どこにも言っていないんだ。俺としたら3学年集まった中で、みんなに伝えたいと思っていた」
選手たちへの感謝を続けた。
「3年生。俺の最後の夏に甲子園に連れて行ってくれたこと。本当にうれしかったし、みんなに感謝している」
4年ぶりに出場した夏の甲子園では、聖光学院(福島)に2―4で敗れた。小倉監督にとってはこの試合が甲子園での最後の采配になった。
「監督がもっと力があったら、もっと甲子園で勝つことができたのかもしれない。俺が力なくて、1回戦で帰ってくることになって、申し訳ない」
「1、2年生。3年生だけの力で、甲子園に行ったんじゃないよ。2年生の後押しがあったから、3年生ができた。そして、1年生が何にも分からなかったけど、足引っ張るようなことをしなかったから、3学年で甲子園に行けたんだよ」