「監督さん」と慕われ、2度の甲子園制覇 日大三・小倉監督が勇退へ
夏の甲子園大会で母校の日大三(東京)を2度の全国制覇に導いた小倉全由(まさよし)監督(65)が9日、今年3月限りで退任することを明らかにした。
甲子園での監督としての勝利数は37勝(20敗)で、蔦文也氏(徳島・池田)と並んで歴代9位。選手からは「監督さん」と呼ばれ、慕われ続けてきた。「練習はうそをつかない」を信条に掲げ、選手を指導してきた名将がユニホームを脱ぐ。
「10―0の勝利」。小倉監督がめざす野球のスタイルだ。
選手にはこう説いた。
「点数は取れるだけ取る。その代わり、守りでは無失策」
2001年夏の選手権大会では大会記録(当時)の打率4割2分7厘を記録し、初の全国制覇を果たした。
11年夏には高山俊(現・阪神)や横尾俊建(現・楽天)ら強力打線を擁し、2度目の優勝を果たした。
■現役時代は控え選手
千葉県出身で、日大三に進学。控えの選手で三塁コーチャーだった。
当時の日大三は守り勝つスタイル。「仲間がホームランを打っても、監督から『お前にホームランは期待していない』と言われていた」と振り返る。
日大に進学し、「遊ぶつもりだった」。だが、当時の監督・小枝守氏(故人)に誘われ、日大三でコーチになった。大学4年の時に母校が17年ぶりの夏の甲子園出場を決め、指導するおもしろさを知った。
1981年、関東第一(東京)の監督に就任。選手たちが練習で楽しそうにバットを振り、球をポンポンと飛ばす練習光景を見て驚いた。攻撃的な野球スタイルに目覚め、「甘い球は積極的にバットを振れ」と選手たちに助言した。
97年に母校・日大三の監督に就任。選手たちと寮で寝食をともにし、朝早くから夜遅くまで選手の練習に付き添った。