城東、待ち焦がれた初陣 21世紀枠で選抜高校野球大会出場決める
第95回記念選抜高校野球大会(日本高校野球連盟、毎日新聞社主催、朝日新聞社後援)の選考委員会が27日、大阪市内で開かれ、21世紀枠で城東の初出場が決まった。昨秋の四国大会4強の鳴門は春夏通じて3季連続の甲子園出場はかなわなかった。
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城東の部員は、狭いグラウンドなど限られた練習環境や1日2時間余りの短い練習時間といった制約をものともせず、学業と野球部活動を両立してきた。チーム全員で野球に向きあう姿勢が、選考にあたって高く評価された。
この日、藤本和史校長や新治良佑監督らが校内で選考委のライブ中継を見守った。新治監督は「マネジャーを含め部員13人という厳しい状況の中で部員たちが主体的に練習方法を考え、ハンデを乗り越えてきた。そのことが出場に結びついた」と努力をたたえ、「野球の楽しさを追求する部員たちと、最高の舞台で野球ができることに感謝したい」と語った。
その後、藤本校長や新治監督らがグラウンドで部員たちに出場決定を伝えた。部員たちは引き締まった表情で話を聞き、一礼した。校内の食堂の調理員からお祝いに、たこ焼きの差し入れがあり、思わず顔を緩めて喜びあった。
捕手の森本凱斗(かいと)主将は「部員一人ひとりが熱を入れて野球に取り組み、マネジャーもノックを打ってくれて出場がかなった。甲子園は野球の聖地。そこで野球をしたら人生が変わる気がする。支えてくれた人たちに感謝しながらプレーしたい」と意気込んだ。
手を豆だらけにしながらノックを続け、練習を支えてきたマネジャーの永野悠菜さん(2年)は、出場決定の知らせに涙ぐみながら喜んだ。「みんなの努力が認められたと思い、泣いてしまった。ここまで連れてきてくれたみんなに感謝し、甲子園でも恩返しの気持ちを持ってノックを打ちたい」と笑顔を見せた。
城東は1902(明治35)年に県立高等女学校として創立。2年前に亡くなった作家の瀬戸内寂聴さんは高等女学校時代の卒業生。県内有数の進学校として知られる。
2020年の第92回大会でも21世紀枠の四国地区の候補校に選ばれたが、この時は選出されず、2度目となった今回、96年の創部以来、春夏通じて初の甲子園の切符を手にした。(吉田博行)
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城東は1949(昭和24)年8月の第31回全国高校野球選手権大会に南四国予選大会で高知商を下して徳島県から戦後初めて、出場しています。一方、この年は学校再編などで徳島商が城東商業課程に置かれており、夏の大会は徳島商が出場したとして記録されています。城東の硬式野球部は96年の創部で、今回の選抜大会出場決定は創部以来、春夏通して初めての出場となります。
■城東の昨秋の戦績
▽徳島県大会
1回戦 ○8―1城西
(8回コールド)
2回戦 ○14―2徳島市立
(6回コールド)
準々決勝 ○9―0阿波
(7回コールド)
準決勝 ●2―9鳴門渦潮
(7回コールド)
3位決定戦●4―5徳島商
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四国大会4強の鳴門に吉報は届かず、春夏通じて3季連続の甲子園出場はかなわなかった。
午後4時すぎ。インターネットのライブ中継で結果を確認した森脇稔監督は、グラウンドで練習をしていた選手たちに「落選」を伝え、「いつまでもくよくよしていても仕方がない。何が足りなかったのかを踏まえ、悔しさを糧にしよう」と呼びかけた。
エース右腕の真鍋至憧君(2年)は「四国大会で2試合とも4失点といい結果を出せなかった。自分が抑えていたら違っていた」と振り返り、夏へ向けて「コントロールピッチャーの自分が失投をしてはいけない。もっと制球力をつけたい」と語った。
城田悠晴主将(2年)も「四国大会の高松商戦はエラーやバントミスもあり、点差以上の差があった」と言い、「夏に向け、一からチャレンジャーとして向かっていく」と誓っていた。(東孝司)
■鳴門の昨秋の戦績
▽徳島県大会
2回戦 ○16―3脇町
(5回コールド)
準々決勝 ○7―0生光学園
(7回コールド)
準決勝 ○9―4徳島商
決勝 ○3―1鳴門渦潮
▽四国大会
準々決勝 ○11―4済美(愛媛)
(8回コールド)
準決勝 ●1―4高松商