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「たまたまの巡り合わせです」 仙台育英の監督が感謝する星稜との縁

2022年12月27日18時05分

朝日新聞DIGITAL

 宮城県高校野球連盟の監督会が26日、同県東松島市であり、今夏の第104回全国高校野球選手権大会を制した仙台育英の須江航監督(39)と、星稜(石川)の山下智茂・名誉監督(77)が講演した。

 山下さんは講演前に仙台育英のグラウンド(多賀城市)を訪問し、「改めて優勝おめでとうございます」とあいさつ。恐縮する須江監督に、「1980年代に誰が最初に優勝監督になるかと比較された3人がいたのを知っていますか」と質問した。

 仙台育英の竹田利秋監督(81)、沖縄水産の栽弘義監督(2007年に65歳で死去)、そして自分だったそうだ。「3人とも優勝できなかったが、のちに沖縄に大優勝旗が渡り(10年)、須江さんが今年、東北の悲願を達成された。北陸はまだ実現していない。責任を感じています」と苦笑した。

 須江監督は「多くの先輩方のおかげであり、たまたま私のときに巡り合わせが来ただけです」と話し、「色んな方に感謝しなければなりませんが、星稜さんにも本当にお世話になったんです」と打ち明けた。

 東日本大震災が発生した2011年3月11日、須江さんは仙台育英の姉妹校である秀光中学の教員をしていた。監督を務める軟式野球部は全国トップレベルの強豪で、星稜中学とも交流があった。ただ、震災後は学校が休校となり、部活動もできない日が続いた。

 1カ月が過ぎた頃、星稜中の監督(当時)から「もし可能であれば金沢に来ませんか」と持ちかけられた。須江監督は学校の許可をもらい、山形県を経由するルートを使ってバスで金沢市へ向かった。

 大震災後の部活動再開となる第一歩だった。

 生徒は星稜中の生徒の家にホームステイさせてもらった。「私も震災後、初めてお風呂に入ったのが金沢でした」と須江監督は感謝する。

 さらに両校の交流は続く。

 須江監督は18年1月、部員の不祥事の責任をとった前監督に代わり、仙台育英の監督に就任した。

 対外試合禁止処分期間が明けた同年6月、最初に遠征して試合した相手も星稜だった。

 「節目、節目で手をさしのべて下さったのが星稜さんでした。そのおかげで、今日があります」と須江監督は語る。

 翌19年夏の選手権大会準々決勝で星稜と対戦し、1―17で大敗したのも素晴らしい経験になったという。

 監督会の講演では、須江監督は「仙台育英の作り方から倒し方を考察する」などのテーマを用意。ふだんはライバル関係にある他校の監督たちに「39歳の若輩者がみなさんにお話しできることなどありません。包み隠さずお話しすることで、私たちもアップデートしていければと思います」と呼びかけた。

 宮城大会1回戦で6―4という接戦になった柴田の平塚誠監督(50)と、互いの作戦や試合中の印象など裏話を語り合う一幕もあった。

 山下さんは「夢の挑戦」と題した指導者講座で、「キャッチボールに人生がある」「指導した中で一番いい選手は3年間やめなかったメンバー外の選手」などの指導哲学を披露した。

 質疑応答では須江監督が「素晴らしいお話をお聞きして、山下先生は愛の人だと感銘を受けました」と述べ、「その先生が一番失敗したと思われることは何ですか」と質問した。

 「家庭を守らなかったことです。女房には頭が上がりません」

 山下さんがそう答えると、須江監督が「肝に銘じます」と応じていた。(安藤嘉浩)

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