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選抜出場の可能性が高い彦根総合 躍進の秘密は

2022年12月24日10時15分

朝日新聞DIGITAL

 来春の第95回記念選抜高校野球大会(日本高校野球連盟、毎日新聞社主催、朝日新聞社後援)の出場校が来月27日に決まる。彦根総合(彦根市)は、秋の近畿大会でベスト8に入った。優勝した大阪桐蔭に一時2点のリードを奪った戦いぶりから、甲子園への期待が高まっている。これまで甲子園出場の経験はなく、夏の滋賀大会でも最高で3回戦どまり。なぜ躍進したのか。

 「選抜に行けたらうれしいが、恥をかかないように準備しなければ」。監督の宮崎裕也(ひろや)さん(61)は気を引き締める。2年前の春に監督に就任した宮崎さんを抜きに、彦根総合の活躍は語れない。

 宮崎さんは大津市出身。4歳の頃、誤って熱湯が入ったヤカンをこぼし、全身に大やけどをした。小学校低学年の頃は後遺症で足を引きずり、いじめられた。しかし高学年になると、体が大きくなり、やり返すようになった。

 大津市立皇子山中学校に入学。「やんちゃだった」という宮崎さんを、野球部監督だった手島進さん(故人)が誘った。手島さんは皇子山球場(現・マイネットスタジアム皇子山)の初代球場長も務めた。中学で野球のイロハを学んだ。

 比叡山高校(大津市)に進学し、3年生だった1979年夏に甲子園へ出場。8強入りした。その後、中京大学(名古屋市)へ進んだ。「手島さんに厳しく、あたたかく育てられた。野球で人生が激変し、立ち直ることができた」

 「野球で恩返しをしたい」と高校教諭になり、94年に県立北大津高校の監督に就任。2004~12年に、春夏計6回の甲子園出場を果たした。

 17年、県立安曇川(あどがわ)高校へ転勤。学校側から野球部の監督就任を打診されたが、すでに若い監督が部の指導をしていたので「邪魔は出来ない」と断った。当時55歳。60歳の定年まで勤め、後は年金で生活するプランを立てていた。

 一方、彦根総合は野球部の強化を決め、19年夏、宮崎さんの招聘(しょうへい)を目指すことを決めた。運営する学校法人松風学園の理事長、松本隆さん(77)が、宮崎さんの自宅を訪れたが、宮崎さんは当初、「(野球への思いが)燃え尽きていた」として断った。

 しかし、松本さんはあきらめず、何度も訪れ、自身の経歴や学校の運営方針を説明した。

 松本さんは父が会社を経営していたが、子どもの頃は商売がうまくいかず、家計は苦しかった。高校へ通えず、学歴は中卒だ。その後、会社の経営が順調になり、父は経営難だった彦根高等技芸専門学校(現・彦根総合高校)の経営を譲り受けた。その父に言われ、松本さんは学校経営をすることになった。

 松本さんは自身の経験をふまえ、「うちの学校には、家庭的に恵まれない子や中学校のときに不登校だった子もいるが、必ず卒業させる、という信念でやっている」などと宮崎さんに打ち明けた。

 松本さんの訪問は10回ほどに及んだ。宮崎さんはついに、彦根総合の野球部監督就任を了承した。「理事長の情熱に負けた。子ども一人一人を大事にしていることに共感したし、年齢も僕より一回りくらい上。自分も頑張らないと、と思った」と振り返る。

 20年4月、彦根総合へ赴任。最初の年に滋賀県内のほとんどの中学校を回り、野球部監督に就任したことを伝えた。北大津高校や中京大学のOBにも電話をしたり訪問をしたりした。

 主将の上田大地君(2年)は、中学生のときに所属したチームの監督が宮崎さんの教え子だった。監督に「宮崎さんのおかげで技術的にも人間的にも成長できた」と勧められ、彦根総合に入学した。そのほか、昨年4月に入学した生徒たちが、今年秋の県大会で優勝する原動力になった。

 彦根総合は昨年4月、敷地内に野球部の寮を建てた。寮の隣には宮崎さんが住む一戸建ての家があり、部員が悩みを相談しに来たり、「練習を見て欲しい」と頼みに来たりする。今年夏からは、米原市に新設した野球場を使う。

 宮崎さんは「理事長が設備だけではなく、他の先生の意識も変えてくれた。学校が部活動全体に協力的で、各クラブが勢いづいている」と感謝する。

 現在、練習では紅白戦に力を入れる。「今までのチームの背番号はいったん白紙にして、新チームに向けて競争中です」

 主将の上田君は「どんどん次の塁を狙う走塁技術と守備力の向上に力を入れて練習している。選抜に行けると信じています」と力を込めた。(鈴木洋和)

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