スポブルアプリをダウンロードしよう

  • Sportsbull Android App
  • Sportsbull iOs App

すべて無料のスポーツニュース&動画アプリの決定版!

QRコードを読み込んでダウンロード

Sportsbull QRCode

100%ムチで育った自分…履正社前監督が謹慎処分受けて考えたこと

2022年12月25日17時00分

朝日新聞DIGITAL

 2001年に部員を殴ってけがをさせ、謹慎6カ月の処分を受けました。6月のオープン戦の結果が悪く、「ここで追い込んどかなアカン」という気持ちからでした。甲子園初出場から4年。チームを強くしたい一心でした。

 26歳のときに履正社で体育の教員となり、野球部を任されました。部員はわずか11人、グラウンドすらないところからのスタートでした。それでも、練習を積めば積むほど強くなる。

 「勝てる」「いけるんや」と、指導に熱が入っていきました。

 勝ち進めば、必ずPL学園の壁にぶち当たりました。勝つために、相手より2倍、3倍の練習を課す。「厳しい」=「痛い、苦しい」と思い込み、結果が出るから「これが正しい」と、自分の指導法を疑うこともありませんでした。

 それだけに、謹慎を命じられた直後は「どうしてわかってもらえないんだろう」という気持ちが強かった。もう一度、指導の現場に戻りたい。しかし、今後は同じことをしてはならない。

 「自分が変わらなければ」と、気付いたのです。

 僕は小学生のときに野球を始め、中学はバレー部でしたが、高校で本格的に野球を再開しました。

 当時の部活動は、監督はもちろん、先輩後輩の上下関係も厳しかった。毎日、野球をしに行っているのか、どつかれに行っているのかわからないくらいでした。正座をさせられ、説教され、殴られ、蹴られる。その理由も「元気がない」とか「動きが緩慢だ」とか、理不尽なものでした。

 「血へどを吐くまでやれ」「それくらいの覚悟でやれ」。学校教育やスポーツにも、戦前から続く軍隊教育の流れが色濃く残っていたのだと思います。いまだに「体育教官室」という名称があるくらいですから。

 生きるか死ぬか。練習量はとめどなく、肩やひじを壊したり、暴力的な厳しさに耐えかねてメンタルダウンしたりして、潰れていった良い選手がたくさんいたと思います。「あめとムチ」といいますが、僕自身には「100%ムチ」の経験しかありませんでした。

■監督一人が抱え込むのではなく

 指導者になって「勝利」という成功体験を重ねるうちに、周りが見えなくなっていく。桜宮高のバスケ部元顧問も同じだったのではないでしょうか。

 「チームを強くしなければならない」と、重圧を一人で背負い込んでいったのではないかと。その結果、取り返しのつかない過ちを犯してしまった。

 僕は謹慎後、部員や保護者と対話をすることに時間をかけ、コーチやトレーナーも含め「チーム履正社」をどうつくるかに力を注いできました。「勝たせてやりたい」と監督が一人で抱え込むのではなく、複数の指導者が役割分担をして助け合うことで、生徒にも多角的なアプローチができるようになりました。指導者同士も悩みを支え合える環境をつくれたと思います。

 野球部に寮はなく、週1日は必ず休養日としていました。指導者にも家庭があるし、休んでもらわなければならない。19年夏に全国制覇し、こうした環境でも強くなれると証明できました。

 「少ない時間で効率よく練習をやらなアカン」と、生徒が意識してくれたらそれで十分なんです。

 今春から母校の東洋大姫路で一からチームづくりに取り組んでいます。

 子どもは怒鳴られたり、たたかれたりして練習を面白いと思えるはずがなく、そんな指導が習慣化して強くなれるわけがありません。僕は経験から、そう思えるようになりました。どんなに試合結果が悪くても、必ず一つは良かったことを見つけて褒める。

 子どもが自ら「次へ」と思えるように導くことが、上達への一番の近道だといまは思っています。(聞き手・小若理恵)

     ◇

 おかだ・たつお 1961年、大阪市生まれ。日本体育大学卒業後、社会人野球、桜宮高野球部コーチを経て、履正社高の体育教員に。監督として、2019年の全国高校野球選手権大会で全国制覇を果たした。今年4月から母校の東洋大姫路高野球部監督。

     ◇

 《おことわり》昨年12月25日17時の配信時点では処分を科したのが日本高校野球連盟としていましたが誤りでした。12月31日に修正しました。処分を科したのは、日本学生野球協会でした。

新着ニュース

アクセスランキング

注目の動画

一覧へ