甲子園まであと1勝、コロナに泣いた生駒 エースも4番もいなかった
この夏の高校野球奈良大会の決勝は、試合が終わったあと、例年以上に注目を集めた。
7月28日、奈良県橿原(かしはら)市の佐藤薬品スタジアム。
昨夏の甲子園準優勝の智弁学園を準決勝で破り、初めて決勝に進んだ県立の生駒と、天理が対戦した。
■12人が出られなくなった
だが決戦を前に、生駒はコロナに泣いた。ベンチ入りメンバーは20人。コロナの陽性反応が出たり濃厚接触者になったりする選手が相次いだ。12人が決勝に出られなくなった。
エースの北村晄太郎(こうたろう)がいない、4番捕手の篠田莉玖がいない、好調だった先頭打者の飯田智規(いずれも3年)もいない。
準決勝に続いて先発したのは主将の熊田颯馬、野村拓、筒井大翔、田副敢士(いずれも3年)の4人だけだった。
決勝のスコア21―0。序盤から猛攻を仕掛けた天理が完勝したが、笑顔はなかった。
■優勝しても喜ばない
あとアウト一つとれば優勝が決まる場面、ピンチでもないのに、天理のバッテリーと内野手がマウンドに集まった。
「優勝しても喜ばないで整列しよう」
主将の戸井零士(3年)が呼びかけた。万全で臨めなかった生駒への配慮からだった。
戦った相手を気遣う天理、そして最後まで戦い抜いた生駒。共感の輪が広がった。
■天理の監督が申し入れた
「秋になったら3年生の練習試合をしましょう」。閉会式が終わると、天理の中村良二監督(54)が生駒の北野定雄監督(63)の元へ歩み寄り、申し入れた。
あの日から45日目の9月11日夕、同じ佐藤薬品スタジアムで、もう一つの「決勝」が始まった。
今月7日、生駒の3年生が勢ぞろいした。それぞれが体を動かしていたが、グラウンドに集まって練習するのは、久しぶり。みんな大学入試の準備を始めていた。
新チームの練習を邪魔しないようにバットを振り、ブルペンで投げた。少しでも調子を上げるために。
準決勝で智弁学園を破り、決勝進出を決めた生駒に何が起きたのか。北野監督、主将の熊田、エースの北村に聞いた。
準決勝の後、北野監督は選手たちを早めに帰らせた。保護者たちには「体調に変化があれば連絡をください」と伝えた。
■「しんどい。出られへんかも」
北村は深夜2時ごろに目を覚ました。いままで感じたことがないくらい、体がしんどかった。「コロナやな」と思った。
熊田と篠田に電話をかけた。「しんどい。決勝は出られへんかも」と伝えた。
すると篠田は「俺もヤバい」と言った。
翌日は試合がなく、生駒は午後から練習するはずだった。選手から体調悪化を知らせる連絡が朝から相次いだ。
ベンチ入りメンバーの練習を中止し、北野監督は全員に「熱が下がらない場合は病院へ行くように」と伝えた。
■熱中症を疑った
準決勝の日は誰一人微熱もなかったし、試合後の体調も問題なかった。北野監督は熱中症を疑った。
北村の体温は39度を超えていた。病院で受けた抗原検査の結果は陽性と出た。
「やっぱりな。もう出られへんのか」。ただ当時は落ち込む気持ちよりも、体のしんどさの方が勝った。
「ごめんな」。北村は熊田に伝えた。篠田も飯田も陽性と判明した。
決勝の前夜、陽性者を含め体調不良のメンバーは12人に上った。
北野監督は、何が起こっているのか分からなかった。決勝に出ることをあきらめていたが、一夜明けて高野連や高校と相談し、出場するかしないかを判断することにした。
■試合、やらせてください
決勝の朝、発熱もコロナ症状もない部員たち20人ほどが抗原検査を受けた。全員が陰性だった。熊田は北野監督に言った。「やらせてください」
準決勝から12人のメンバーを入れ替え、天理との決勝に臨むことになった。球場のすぐ近くのベンチで、生駒の部員の保護者たちは、新たにメンバーに入った選手のユニホームに背番号を縫い付けていた。
一方で、熊田の思いは揺れていた。苦戦は必至だ。「どんな試合になるんや」。そんなことを考えていたら、涙が出た。
ただ、メンバー外から決勝の先発を託された草野純(1年)ら、大舞台でチャンスの回ってきた仲間たちが、いい顔をしていた。
■30点、40点取られてもいい
「俺が泣いてどうすんねん」。熊田は腹をくくった。決勝を戦うメンバーに「30点、40点取られてもいいから最後まで笑顔でやろう」と声をかけた。その様子を、出られない仲間たちへLINEで伝えた。
センターを守りながら、「俺のとこに飛んでこい」と念じた。すると不思議なことに、やたらと打球が飛んできた。熊田はこの日、どんなに苦しくても笑った。周りを鼓舞する声を、出し続けた。「やりきりました」
北村は家の自室で、スマホから仲間たちの戦いを見守った。「申し訳ない」「頑張ってくれ」。二つの思いが交互に浮かんだ。
終わった瞬間、我に返った。「甲子園、無理なんか」と思うと、涙が出た。
熊田も試合直後こそ仲間をなぐさめていたが、観客席へあいさつに行くともう、ダメだった。我慢していた涙があふれた。
北野監督は「3年生にはたくましさしか見えなかった」とたたえた。
■「打倒私学」目標に
2012年、母校の生駒に赴任して以来、「打倒私学」を目標に掲げてきた。今春、それが一つの形になった。
5月、近畿大会の県予選3回戦で智弁学園を下した。ただ、天理には2―12と大敗した。
夏へ向けてもう一段力をつけさせるため、あえて選手たちに抽象的な課題を与えた。
選手たちも悩みながら、とんでもない力を結集した。北野監督は「辛抱強い子たちでした。そこからは信用しきって戦えました」。
夏の奈良大会が終わっても、北野監督は気が気でなかった。天理の選手に感染させていない、とはいえなかったからだ。
■これで夏の大会が終わった
甲子園大会前のPCR検査。天理のメンバーは全員陰性だった。北野監督は「これで夏の大会が終わった」と感じた。ようやく肩の荷が下りた気がした。
北村はあの日々を振り返った。「1週間ぐらいは引きずりましたけど、もう吹っ切れました。ブランクがあってボールは伸びないし変化球は曲がりませんけど、天理相手に投げられるんで、思いっきり楽しみたいです」
熊田はこの試合で野球に区切りをつけるつもりだ。「13年やってきたんで、大学では別のスポーツをやろうと思ってます。集大成なんで、1打席ずつ全力で振っていきます」。彼らしい、やんちゃな笑顔が広がった。(篠原大輔)