鳥取商の主将、控えだからできること 祖母も仲間もわかっている役割
全国の壁は高かった。鳥取商は11日、初戦の2回戦で仙台育英(宮城)と対戦。試合前半は粘り強い守備などで互角の戦いをみせた。相手投手陣を打ち崩せず、夏の甲子園初勝利はならなかったが、最後まであきらめない姿に大きな拍手が送られた。
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5点を追う八回、2死一塁。鳥取商の主将、久城(くしろ)洸太(こうた)君(3年)は、次打者席で素振りを繰り返していた。
鳥取大会では強打も武器に勝ち上がってきたチームだったが、この試合、仙台育英の継投策の前に打線が沈黙。得点圏に一度も走者を進められない厳しい戦いが続いていた。
「絶対つないでくれる」
打席には、同学年の岩崎翔君。思いは通じ、岩崎君の強烈な当たりは遊撃手のグラブをはじく内野安打に。代打として、この試合初の打席へと向かった。
兵庫県出身。中学時代は全国優勝した硬式野球チームで4番を任されるなど活躍。周囲の勧めもあって、鳥取市出身の祖母の卒業校でもある鳥取商へと進学した。
背番号は3。だが、利き腕の右ひじに故障を抱え、鳥取大会から控えに回ることが多かった。この日もベンチスタートだったが、「自分は声で引っ張るキャプテン」と、三塁コーチとして大きな声で仲間を鼓舞。六回のピンチでは、伝令として2度マウンドへ。劣勢のチームを、裏方の立場でひっぱり続けた。
そんな主将に巡ってきた一、三塁という絶好の場面での打席。相手投手の速球や変化球に全力スイングしたが、結果は空振り三振。悔しそうに歯を食いしばった。「思い切って振っての三振だったので、後悔はないです」
主将として、試合中に笑顔を絶やさないことにこだわってきたが、試合後、「全員にありがとうと伝えたい」と口にしたところで、言葉を詰まらせた。
スタンドでは祖母の孝子さん(79)が見守った。幼い頃から元気がよく、周りを喜ばせるのが好きだったという洸太君。「残念だけど、よう頑張りました」とたたえた。(清野貴幸)