指導40年「選手に育てられた」育成功労賞に六日町監督・若井聡さん
【新潟】高校野球の発展や選手の育成に貢献した人に日本高校野球連盟と朝日新聞社が贈る「育成功労賞」。県内からは六日町監督の若井聡さん(62)が選ばれた。2001年夏に十日町を甲子園に導き、今年には指導歴40年目の節目を迎えた。「選手たちに育てられた」と感謝の気持ちを語った。
野球を始めたのは小学生の頃。六日町を卒業後、順天堂大で主将を務めた。1983年に糸魚川商工(現・糸魚川白嶺)で初めて監督に就き、県内で計5校を渡り歩いてきた。
「和をもって技を制す」がモットー。技術的に劣ってもチームワークで勝つことをめざす。足でつなぐプレーで強豪と渡り合ってきた順天堂大での経験がもとになっている。
それを体現した試合が92年の秋の県大会準々決勝だ。三条東の監督として12人の選手を率いて新潟と対戦。走者三塁の好機でスクイズのサインを出した。しかし、選手は応じず安打を放ち、勝利した。
納得できず、選手を問いただした。2死だったアウトカウントを自分が勘違いしていた。三塁走者と打者はサインを見て、自分たちにできることをやろう、ととっさに目で示し合わせていたという。「子どもたちはものすごい速さで成長している」。驚いたのと同時に、チームワークの重要性に改めて気づかされた。
この経験は、次に監督を務めた十日町でも生きた。01年夏、甲子園出場をかけた日本文理との決勝は延長戦に。十回裏、迎えた2死満塁のチャンスに重盗のサインを出すと、打者を含む4人でアイコンタクトをとって呼吸を合わせ、成功させた。
大切にしていることがもう一つある。投手板から本塁までの18・44メートルだ。目の前の投手に集中できて初めて、グラウンド全体を見渡した視野の広いプレーが可能になるという考えに基づく。
特に豪雪地帯にある十日町では、半年ほどはボールを使った練習が室内練習場に限られる。広い場所でできない環境を嘆くのではなく、狭いスペースだからこそ対投手の集中力を磨くいい機会ととらえた。
母校・六日町で再び監督になって1年3カ月余り。以前と違い、勝つことよりも、日々成長する選手たちの姿を見るのがおもしろい。今回の受賞に「地域の人たちや保護者、そして選手たちに育てられてきた」と話す。
受賞者として8月に開幕する選手権大会に招待されている。21年ぶり2度目の「甲子園」にも、十日町のユニホームを着ていくつもりだ。(友永翔大)