甲子園での女子野球日本一 三塁コーチだった元主将が思い出すのは
女子高校野球の日本一を決める第26回全国高校女子硬式野球選手権大会が22日、開幕します。昨夏の決勝は史上初めて、阪神甲子園球場で開催されました。神戸弘陵が高知中央を4―0で破り、5年ぶり2度目の優勝を果たしました。当時の主将、小林芽生(めい)さん(18)は球場での時間は「一番の思い出」と言います。あの夏を振り返り、後輩たちへのメッセージを語ってもらいました。
■最後の舞台が甲子園「マジか、マジか」
あの日、一塁側から甲子園球場のグラウンドに入り、見たこともない数の広告看板に圧倒されました。
チームメートに緊張はなかったように思います。むしろ、伝わってきたのは「楽しみ」という気持ち。
一番印象に残っているのも仲間の楽しそうな姿です。
二回、二つのスクイズとタイムリーで4点を先制しました。
私は三塁コーチをしていました。一塁側の味方ベンチがよく見えるのです。打線がつながるたび、得点のたび、笑い、喜びあっていたみんなが忘れられません。
昨年4月、選手権大会の決勝が甲子園球場で開催されることが決まりました。
「マジか、マジか」という感じでした。まさか甲子園でできるなんて思ってもいなかったので。
私たちは1年生の時から、学年別のミーティングで日本一を目標に掲げていました。
どこの球場だろうが、その目標は変わりませんが、最後の舞台が甲子園と聞いて、より気合が入りました。
■今でも「私は世の中で一番の幸せもの」
ただ、私はけがを抱えていました。
4強入りした春の選抜大会後、右ひざが外れるような感覚がひどくなりました。
病院で検査を受け、中学の時に手術して治した前十字靱帯(じんたい)が再び断裂していることが分かりました。医師からは「再び手術することはできない」と言われました。
もちろんプレーしたい思いはありましたが、私が試合に出られないことを知って泣いてくれたみんなのため、「芽生を甲子園に連れていく」「日本一の主将にする」と言ってくれたみんなのため、私にできることをやろうと、打撃投手などをしてサポートしました。
「目標は甲子園じゃなくて、日本一でしょ」
時には主将として厳しいことも言いました。
1年前の決勝は私にとって、みんなに連れてきてもらった甲子園でした。そこでずっと目指してきた日本一になれた。
私は世の中で一番の幸せものなんじゃないかと、今でも思います。
試合後のインタビューで言いました。
「野球は一人でやるスポーツじゃない。みんなで力を合わせれば楽しい。みんな、今日はありがとう」と。
卒業後、チームメートの多くが大学やクラブチームで野球を続けています。私はけがで諦めました。
■「みんなで力を合わせる過程を楽しんで」
自分のようにけがで苦しむ経験をしてほしくないと、スポーツをしている人たちを支えるために、柔道整復師を目指して、専門学校に通っています。
目の前の試合を全力で勝ちにいくのは、女子も男子も一緒です。
ただ、振り返ると、試合前にみんなで手をつなぎ、輪になって歌うなど、私たちは楽しもうという意識がより強いように思います。
本当に濃い3年間でした。いまも同級生と連絡を取っては、「戻りたいなあ」「またみんなで一緒に野球をやりたいね」と話します。
今夏も決勝の舞台は甲子園です。
たとえ届かなくても、日本一をめざす過程を、みんなで力を合わせる過程を楽しんでください。
みんなで野球をするのは最後になると思うので、その時間を大切にしてほしいです。(構成・佐藤祐生)