一足早く「引退」の女子部員も直前に骨折の左腕も 最後の夏は仲間と
■新津・中原さん、体力差を工夫で埋めた
「全部ぶつけてこい」「打てー」
3日、新潟県三条市のグラウンド。ベンチからの声を背に、新津の中原鼓(3年)は打席に立った。1点ビハインドの八回裏2死一、二塁。内角高めを振り抜いた打球はあとわずか遊撃手の頭を越えなかった。
女子は規定で公式戦に出られない。夏の大会を前に、この練習試合が一足早い「引退試合」となった。
兄の影響で野球を始めたのは小学2年のとき。中学では女子軟式野球の県選抜で全国大会を経験した。高校はマネジャーも考えた。でも、人がプレーするのを見ていたら絶対やりたくなる。選手を続ける道を選んだ。
初めての硬式球は距離を投げられず、バットも重かった。それでも望んで男子と同じ練習をした。昨秋からは打撃フォームの改造に取り組み、今季が始まると好調を維持。計7安打を放った。二塁手としても、配球などから打球方向を予測し、動き出しを早くしている。男子との体力差を工夫で埋め、遜色ない守備を見せる。
「鼓が一番うまくなった」。主将の阿部雄大(3年)は話す。成長ぶりに男子全員が刺激を受けてきたといい、「感謝を込めてせめて1勝は届けよう」と燃えている。
「最後にヒット打ちたかったなぁ」。3日の試合を終え、悔しさを口にする中原の表情には、どこか充実感も漂っていた。「最後までみんなとプレーできてほんとよかったな、って」
ずっと「一人の選手」として私に接してくれた自慢の仲間たち。その最後の夏を、「ボールガール」として一番そばで見届ける。本当の引退試合はもう少し先でいい。
■塩沢商工・中嶋君、チームのためサポート役に
6月下旬、新潟県南魚沼市のグラウンド。塩沢商工の中嶋秀(3年)は捕手の後ろからブルペンをじっと見つめていた。一定の時間中、同じ球種を同じコースに投げ続ける練習のタイム管理係。左手に持ったスマートフォンに時折目を落とし、時間が来ると「終わり」とマウンドに向かって声をかける。
白のワイシャツに黒のズボンの制服姿。右手にはひじの下にかけて包帯が巻かれている。本当なら自分も「あっち側」にいたはずなのに――。
3日前の練習試合。マウンド上の中嶋を強烈な打球が襲い、右手親指に直撃した。腫れ上がり、グラブに手が入らない。夏の開幕まで2週間。祈るような気持ちで病院に向かった。骨折、全治2カ月と告げられた。
昨秋と今春の県大会には連合チームとして出場し、投手は他校の選手が務めていたから塩沢商工では空いていた。中堅手の自身も、唯一の左腕として「急造投手陣」の1人に選ばれ、おもしろさを感じ始めた矢先だった。
ピッチングマシンへの球入れ、球拾い、練習試合のコーチャー……。投球練習のタイム管理にとどまらず、率先して選手のサポートに回っている。「ずっと一緒にやってきた仲間たちと楽しく終わりたいから」
切り替えられたわけでも、出場をあきらめたわけでもない。自宅に帰ると、仰向けの状態から真上にボールを投げる練習を繰り返し、体幹トレーニングにも余念がない。主将の五十嵐貫太(3年)は「中嶋とまた一緒に野球がしたい」と気合が入る。
中嶋はチームのために、チームは中嶋のために。最後の夏が始まろうとしている。=敬称略(友永翔大)