出戻った俺、迎えてくれた仲間に恩返しの一打を 新潟・五泉の斎藤君
【新潟】「人数が足りないんだ。戻ってこないか」
五泉の斎藤薫平(3年)は昨年の夏前、同級生の伊藤優汰らから、顔を合わせれば誘われるようになった。「いやぁ……」。そのたびあいまいにしてはぐらかした。
その春に入部した1年生は3人。夏で3年生が抜ければ新チームは8人になる。そんなようなことは何となく聞こえてきていた。心は揺れ動いていた。
小学2年のときに野球を始め、中学入学を機に硬式のシニアチームに入った。全国大会に出たこともある強豪でレギュラーをめざし、練習に打ち込んだ。
最後の試合はベンチで迎えた。全国出場もかなわなかった。悔しかった。「少しでも強い高校に入って一つでも多く勝ちたい」。受験勉強の合間を縫い、引退後も週1回はチームの練習に参加し続けた。春の県大会で2度の優勝経験がある「公立の雄」の門をたたいた。
入学直後、新型コロナウイルスの感染拡大で突然の休校。野球漬けだったそれまでがうそのように時間を持て余した。そんなとき、テレビでたまたま見かけたスケートボードにひかれた。野球から心が離れていくのを感じた。5月、退部した。
平日は学校に通い、休みの日には公園で友達とスケボーをして遊ぶ日々。新鮮だった。楽しくもあった。でも、ずっとどこか物足りなかったのかもしれない。
「野球をやりたい気持ちがあればもう一度挑戦してみないか」。昨夏、監督から声をかけられた。「五泉高校としてみんなと一緒に最後の夏を戦う」。心が決まった。
復帰初日。抜けるような青空とは裏腹に、グラウンドに向かう足取りは重かった。「裏切った俺をみんな受け入れてくれるのか。俺にみんなと野球をやる資格はあるのか」。そんな葛藤は伊藤たちの笑顔に吹き飛んでいった。少しでも早く信頼を勝ち得ようと、ボール拾いやピッチングマシンの準備、グラウンド整備などの雑用を率先してこなした。積極的に声も出した。
迎えた秋の大会の初戦。終盤に逆転を許し、2―3で敗れた。右翼で先発した自身は4打席に立ってノーヒット。打てなければ勝てない。課題に定めた。
その矢先、新型コロナ感染が再拡大した。全体練習は数えるほどしかできず、自主練習が中心になった。素振りだけでは球を捉える感覚が鈍ると、ティーバッティング用の器具を手づくりし、鋭くコンパクトなスイングを意識してバットを振り込んだ。スクワットや走り込みで下半身の強化にも取り組んだ。
春も結果は出なかった。チームは初戦敗退に終わり、自身もまた4打席でノーヒット。1年以上のブランクを埋めるのは簡単ではない。もとより覚悟のうえだが、貢献できていない自分にもどかしさが募る。
本当にここにいていいのか。そんな思いも幾度となく頭をもたげてきた。それを知ってか知らずか、「よく勇気を出して戻ってきてくれた」と伊藤が言えば、シニアでもチームメートだった主戦の城丸貴哉(3年)は、伊藤に代わって務めることがある捕手としても、「配球が的確で捕球する能力も高い」と信頼を寄せる。
最高の仲間たちに最高の舞台で恩返しを。斎藤の決意の夏が幕を開ける。=敬称略(友永翔大)