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宮崎県立日向高で初甲子園、「育成功労賞」井上光由さん

2022年7月3日11時00分

朝日新聞DIGITAL

 高校野球の発展や選手育成に尽くした指導者に贈られる「育成功労賞」に、日向を夏の甲子園初出場に導くなど宮崎県立4校で監督、部長を務めた井上光由(みつよし)さん(68)が選ばれた。日本高校野球連盟と朝日新聞社が表彰しており、全国49人に贈られる。

 日南市出身の井上さんは野球選手の経験はない。日南高時代は自宅が学校から遠かったこともあり部活動には入らなかった。ただ、ソフトボールが盛んで、休み時間などに男女一緒に楽しんでいたという。上智大学では柔道部へ。アクションスターのブルース・リーが人気を呼んでおり、「強くなりたかった」と笑う。

 高校野球との関わりは地元に戻った1979年からだ。社会の教諭として高千穂高に赴任、野球部の副部長を任された。翌春、監督が異動になり後任に就いた。夏の選手権宮崎大会は初戦で日南商に逆転負け。翌日の朝日新聞に載った「“前車の轍(てつ)”を踏んでしまった」という記事が今でも忘れられない。高千穂は前年も初戦で逆転負けしていた。「生徒たちに申し訳なかった。同じようなことを書かれないよう、失敗を次に生かさなければ」。指導の原点になった。狭いグラウンドをサッカー部や陸上部と譲り合い、土手へ向かっての打撃練習など工夫した。高千穂で野球に携わった7年間、夏は1勝しか挙げられなかった。

 87年の冬、生後間もない三女を亡くした。「いろいろ考慮してもらったんでしょうか」。その春に日向高へ異動になった。「このままじゃいかん。一生懸命、何かせないかん」。88年春から野球部の部長になった。その秋、監督が大けがをして急きょ監督に。初采配は強豪の日章学園戦だった。延長十二回で6―7で敗れたが、早大で活躍しプロ野球巨人に進んだ織田淳哉選手らメンバーもそろっており手応えをつかんだ。

 冬場はボールを触らず、パワーとスピードをつけた。春、選手は自分の打球が鋭くなったことに驚き、招待野球ではその夏に全国制覇する帝京(東京)に12―5(七回コールド)で打ち勝った。勢いをつけ、第71回全国高校野球選手権宮崎大会(1989年)を4割を超えるチーム打率で制した。創立15年目の普通科校が、春秋の県大会を含め初めて優勝を飾った。

 憧れの甲子園。1回戦で東農大二(群馬)に6―10で敗れたが、スコアボードに浮かぶ教え子の名を見た時、涙が出た。「授業をしっかり聞く、清掃は先生が見ていなくてもやる。あの代は、そういう子どもが多かった」。三女も力をくれたと思っている。

 PL学園(大阪)の練習方法を取り入れたり、池田(徳島)の蔦文也監督(当時)に会いにいったり、できることは何でもした。甲子園出場の2年後、再び選手権宮崎大会で決勝へ進んだ。異動した宮崎商でも監督として宮崎大会で2年連続準優勝した。2013年度に宮崎大宮の部長を終えるまで通算18年間指導した。「選手に聞くと、必ず『甲子園に行きたい』と答えるが、本当に『行く』という意識を持って練習しているかどうか」が大切だと思う。

 今は宮崎西高で現代社会の非常勤講師をしながら、104回目の夏に挑む球児たちを見守る。(森田博志)

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