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35歳で亡くなった父が見た光景を 国士舘の「参謀」がめざす甲子園

2022年7月2日14時05分

朝日新聞DIGITAL

 覚えているのは、幼い日にキャッチボールをしてくれたおぼろげな記憶。思えばずっと、その背中を追い続けてきた気がする――。

 「この打者、足が速いぞ!」「カーブの後のまっすぐで振り遅れているね」

 6月中旬、東京都多摩市であった練習試合。国士舘の村上紘輝(こうき)(3年)が仲間に声をかける。手に持つのはバットではなく、ペン。男子マネジャーであり、記録員としてベンチに座る「参謀」でもある。

 もともとは選手としてチームの中心になることを期待されていた。「小柄だけどパンチ力があり、器用に何でもこなせた」。下級生の育成を担当する池田泉コーチも評価していた。

 だが、入学してすぐの健康診断で心臓に異常が見つかった。頻繁に不整脈が起き、寝ていても急に苦しくなって目覚めたり、体育の授業程度の運動でも激しく息切れしたりした。診断の結果、医師から「手術で完治するが、高校野球はもうできない」と言われた。

 それでも村上は甲子園への夢をあきらめきれなかった。父の姿が脳裏に焼き付いていたからだ。

   □   □

 村上の父、室原恵一さんはかつて福岡県の球児だった。1992年春には、福岡工大付(現・福岡工大城東)の一員として甲子園の土を踏んだ。控えだったが、ピンチの場面で伝令を任されるなど、チームに信頼されている選手だったという。

 恵一さんは社会人野球でも活躍し、子宝にも恵まれた。だが2010年、病気のため35歳の若さでこの世を去った。幼かった村上には、父の死がよく理解できなかった。

 しかし、成長して野球をしていくうちに、「お父さんが出た甲子園に行ってみたい」という気持ちが強くなった。

 進学先の高校を考えていた19年秋、神宮球場で都大会の決勝を見た。そのとき優勝を決めたのが国士舘だった。「この高校で甲子園を目指そう」と決めた。

   □   □

 プレーへの思いは人一倍だ。20年春の休校期間中、頭にあったのはコロナ禍の不安より、「野球したいな」という思いだった。マネジャーに転向した後も、はつらつとプレーする選手たちを見ていると、時に悔しさとうらやましさがわき上がってくる。

 そんなときこそ仲間とコミュニケーションをとった。村上が人なつっこい笑顔を向けると、多くの選手が悩みを打ち明けた。「今のポジション、実は苦手なんだよ」「勉強がうまくいかなくて……」

 コロナ禍で練習ができないときは学校の中でふざけ合い、くだらない話をたくさんした。改めて、自分は甲子園を目指すチームの一員なんだと感じられた。

 マネジャーの仕事は楽ではないが、仲間は陰の努力もちゃんと見ている。主将の石田諒人(3年)は「自分たち寮生が夕食を食べて午後8時過ぎに自主練習に出ると、まだ村上が働いているんです」と話す。質の高い練習ができるのは、マネジャーが準備や後片付けをしてくれるから。そう感謝して、「村上を絶対に甲子園に連れて行きたい」と意気込む。

 記録員は、選手や指導者以外で甲子園のベンチに入れる貴重なポストだ。「お父さんが見た光景を、自分も本当に見てみたい」。最後の夏にかける思いは誰にも負けないつもりだ。(狩野浩平)

 ■野球ができる喜び、大会に

 国士舘の箕野豪監督(45) 3年生は一度も遠征に連れて行けなかった。練習も制限され、入学前に思い描いた高校野球はできなかったと思う。それでも限られた時間の中で前向きに頑張る姿が印象的だった。野球ができる喜びを、この大会にぶつけよう。

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