コロナ禍耐えた寮長「最後の打席」 藤蔭3年、思い込めた一振り
見上げた空には入道雲がわき上がっていた。
早すぎる「最後の打席」だった。26日、大分県日田市の平野球場。藤蔭の3年、中村栄汰が内角高めの直球をしぶとくはじき返すと、打球は外野へ抜けた。やっと出た安打。「いままでやってきたことを、そのままスイングに出せばいい」。その一振りに、2年3カ月の思いを込めた。
大会の開会式(7月2日)を目前に、藤蔭の主力はこの日、熊本県へ遠征して強豪校との練習試合に臨んでいた。一方、中村の打席は、学校に残った3年生が1、2年生を相手にした紅白戦。「今日が最後の試合」との気持ちで臨んだ一戦だった。
福岡市の中学で内野手をしていた中村が、甲子園のグラウンドに立つ夢を抱いて、2018年と19年に連続出場した藤蔭に入学したのは20年。新型コロナウイルス感染拡大で選手権大会が中止となった年の春だ。
入寮前の健康観察によって、1カ月ほど遅れて始まった寮生活。間もなく選手権の中止が決まった。泣きながら実家に電話する寮生を、目の当たりにした。試合、練習、日常生活のすべてがコロナ禍の影響を受ける日々だった。
この年の野球部には、例年の倍ほどの45人が入部していた。部内の競争は熾烈(しれつ)を極めた。中村は1日に1千から1500回の素振りを自らに課し、練習の合間にも振り込んだ。加えて冬場には、黙々と走り込みを重ねた。「ここで踏ん張れば、という思いだった。そしたら人としても成長できるかもしれない」
成長する機会は間もなく訪れた。昨年、2年生の夏に60人が暮らす洗心寮の寮長に指名された。
そのころコロナ禍はなお拡大しており、部活動を続けるために厳しい感染防止策がとられていた。寮の食堂では食事の時の会話を禁じ、少人数に分けて15分以内に食べるように徹底した。入浴時も私語禁止。外出も極端に制限された。自室以外の部屋に入ってはならないとされた。
寮長の中村は、各部屋のドアノブを毎朝、消毒して回った。真冬でも全部の窓を開けて換気を徹底させる。夕食時に騒ぎたい寮生を厳しく注意して、あえて「嫌われ役」にもなった。
それでも、食事の食べ残しがある、掃除がきちんとできていない……ことあるごとに呼び出されるのは寮長だった。「当初は怒られっぱなし。みんなを動かすことが、どれだけ大変なことかわかりました」
監督の竹下大雅(29)は「何かあったら呼び出される役目。一番厳しいところで、彼が苦労していました」と思いやる。寮監の瀬戸孝義(68)は「野球と私生活はどこかでつながっている。社会で通用する人間力を養ってほしい」との思いで中村を見守ってきた。「もう少しで終わりだけど、よくやってくれた」
大会のベンチに入れなくても、チームの一員に変わりはない。開幕を目前に、「今年の藤蔭は強い」との思いを強くしている。寮長として、それまで以上に周囲に目配りし、仲間たちを思いやってきたから。「チームは日々の生活から一つになれる」と信じ、二度とない月日を乗り越えてきたから。「代表メンバーも自分たちも、全力を出せるはずです」 =敬称略(奥正光)