梨田、栗山両氏から指導受けた斎藤佑樹さん 監督交代の伝統校訪ねる
■斎藤佑樹「未来へのメッセージ」 兵庫・東洋大姫路へ
監督が代わると、チームはどう変わるのか。
今春の選抜大会に14年ぶりに出場した東洋大姫路(兵庫)は、20年率いた藤田明彦前監督(65)が選抜後に退任し、OBの岡田龍生(たつお)監督(61)が4月に就任しました。
履正社(大阪)を全国屈指の強豪に押し上げ、2019年夏の甲子園で優勝に導いた監督です。
僕は早稲田実、早大時代は、どちらも1人の監督から指導を受けました。3年間のうちに2人の監督から教わる東洋大姫路の選手たちは、どんな思いでプレーしているのでしょう。
姫路駅から車で約30分のグラウンドを訪れると、16年前の記憶がよみがえってきました。
2006年秋の国体は兵庫県で行われ、早稲田実は優勝しました。当時、このグラウンドを借りて練習をしていたのです。あのマウンドで投げていました。なつかしいですね。
東洋大姫路は部員103人の大所帯。守備練習では岡田監督が約4秒に1本のペースでノックを打っていました。
履正社のころからやっていた名物ノックのようです。どこに飛んでくるかわからないから、常に気を張って、頭をフル回転させないといけない。集中力も養われそうです。
主将の岡部虎尉(とらい)選手は言います。
「監督が代わったことで、甲子園での勝利という具体的な目標ができた。そこに向けてチームのレベルを上げていく。そういう気持ちが強くなりました」
これまでは甲子園出場が目標だった選手の意識は、甲子園で勝つにはどうすればいいのか、に変わったそうです。
そのために取り組んでいるのが打撃力の強化。打撃練習の時間が増え、試合を想定したシート打撃も多くなったそうです。
なぜか。岡田監督は「甲子園ではやっぱり打たな勝たれへん」と言います。
履正社が初めて甲子園に出場したのは97年の夏。初戦で専大北上(岩手)に1―2で敗れ、打撃の重要性を痛感したそうです。
もちろん、守備をおろそかにしているわけではありません。全国制覇した19年夏、履正社は甲子園6試合でわずか1失策です。
東洋大姫路も、いまのチームの土台には藤田監督が築いてきた守りの野球が根付いています。
「0点に抑えて10点を取る野球をめざしている」
成功体験を持っているから、岡田監督の言葉には説得力があります。
ただ、2人の指導者から教わることで、「戸惑っている部分もある」と正直に明かす選手もいます。
僕自身、プロ野球の北海道日本ハムファイターズ時代は2人の監督のもとでプレーしました。
1年目は梨田昌孝さん(68)です。おおらかな中に、厳しさがある方でした。捕手目線で、配球や投球フォーム、変化球の投げ方も教えてくれました。
2年目から引退する昨年まで監督だった栗山英樹さん(61)は、技術指導はコーチに一任していました。選手とコミュニケーションをとりながら、野球に対する姿勢や思いについて語ってくれました。
2人の監督が考えている野球は違いました。
僕がその中で意識していたことは、自己分析をすることです。それぞれの監督から指導を受けたり、話を聞いたりするなかで、自分が得意なこと、不得意なことを理解し、自分の進むべき道を探る。
監督にあわせるのではなく、ぶれない自分の軸を持つことが大切だと感じました。
高校とプロとの違いはあると思いますが、2人の監督に見ていただいたことは、僕にとって間違いなくプラスの経験になりました。
東洋大姫路のエース森健人選手のこんな言葉が印象に残っています。
「藤田先生からいろいろと教えていただいたことで今の自分もあると思うので、それを頭に残しつつ、岡田先生のアドバイスも採り入れて、さらに進化できたらいいなと思います」
そして、「野球についてより深く考えるようになった。より野球が楽しくなった」とも。
すぐに結果として表れないかもしれません。
でも、2人の監督から教わったことは、きっと大きな財産になるはずです。(斎藤佑樹)