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小松高の甲子園初出場エースしのび「献球」へ

2022年5月17日09時00分

朝日新聞DIGITAL

 石川県立小松高校が1986年、夏の甲子園に初出場した時のエース元雄(もとお)潤さんがこの3月に亡くなった。53歳だった。社会人になってからも甲子園や神宮球場で学生野球の審判を務め、野球一筋の人生だった。当時の監督や同校野球部OBらは、22日に小松市でしのぶ会を開く。

 86年、石川県立工業との県大会決勝戦ではエースで4番だった元雄さん。序盤で5点を取られたが、六回にチームが逆転。それ以降を得意のスライダーを交えた粘投で0点に抑え、6対5で初優勝を果たした。

 甲子園では、強豪高知商と対戦。2対2の同点で延長に入っても1人で投げ抜いた。だが、十一回表、2死から2点本塁打を浴び、チームはその裏1点を返したが敗れた。

 当時の監督だった石田洋二さん(77)は、この試合の数日前、元雄さんに「監督はまた、甲子園にこられるからいいね」と言われたことを覚えている。「このときから野球と甲子園に強い愛情を持っているんだと感じた」と振り返る。

 立教大学へ進んだ元雄さんは、東京六大学野球で投手として活躍。2度の優勝を経験した。卒業後、外資系や国内の金融機関に勤めながら、神宮球場での東京六大学野球連盟の審判員と、春と夏の甲子園の審判委員を務めた。

 同連盟などによると、英語が話せた元雄さんは2009年にメジャーリーグの審判講習で米国に派遣され、その後、世界大学野球選手権やインドネシア、インドで行われた大会でも審判などを務めたという。

 4年前には、小松高の甲子園初出場メンバーと、同校の野球部員への講義に参加。勝ち進むプロセスや気持ちを高めることなどを伝えた。翌日は、小松市の弁慶スタジアムで高校の試合の審判をしたという。

 そんな充実した生活を送っていた元雄さんに突然の病が襲う。昨年7月、胆管にがんが見つかり、病状は最も進行した「ステージ4」と判明した。元雄さんの父・威(たける)さん(79)=小松市=によると、医師に「余命は年内」と告げられたという。抗がん剤治療をしながら仕事や審判を続けたが、3月17日に容体が急変し、都内の病院に入院。10日後の27日に亡くなった。

 がんが判明して約2カ月後の東京六大学野球の秋季リーグ戦で、球審を務めたのが公式戦最後の審判となった。今年の春季リーグ戦の開幕戦では、審判員全員が元雄さんへの弔意を込め、喪章をつけて臨んだという。

 葬儀は東京で営まれたが、石田さんはコロナ禍で参列できなかった。元雄さんの功績を故郷の小松で顕彰したいと思い、同高野球部OB会長の白江一也さん(64)らと話して発起人となり、しのぶ会の準備を進めてきたという。

 しのぶ会は、22日に小松市内のホテルビナリオ小松セントレで行われ、元雄さんと過ごした野球部OB、遺族ら約65人が参列する。当時のユニホームなどゆかりの品を飾り、硬式球を「献球」するという。(朝倉義統)

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