風呂で取り合う監督の背中 斎藤佑樹さんが見たライバル校の強さの理由
■斎藤佑樹「未来へのメッセージ」西東京・日大三へ
早稲田実時代のライバルといえば、同じ西東京の日大三です。
2年だった2005年夏、西東京大会の準決勝で対戦し、僕は先発しました。5回を持たずに8失点しました。1―8でコールド負けし、先輩たちの最後の夏が終わりました。号泣する先輩の姿に、胸が痛みました。
翌日から、打倒・日大三の1年が始まりました。
まずは日大三を倒さなければ、全国制覇はおろか、甲子園にも行けません。当時の日大三はすでに、春夏あわせて28回甲子園に出場し、春夏1度ずつの優勝を誇る伝統校でした。
どうしたら抑えられるか。
もっと速い球を投げたい。制球を安定させたい。
苦しい練習でも、あの大敗を思い出して、走り込み、投げ込みました。
翌06年、西東京大会の決勝で再び対戦し、延長11回、5―4でサヨナラ勝ちしました。
日大三はなんであんなに強かったのだろう。理由が知りたくて今春、町田市にあるグラウンドを訪ねました。
到着してすぐに、驚かされました。
車を降りると、隣に傘を持った選手が立っていました。ちょうど雨が降ってきたところで、ぬれないように気遣ってくれたのです。
寮に入ると、マネジャーがスリッパや飲料水をさっと差し出してくれました。
打撃練習では、誰に指示されるわけでもなく、各自が状況を想定し、低い打球や逆方向への打球を狙って打っている印象を受けました。
僕が抱いていたイメージとは正反対でした。
日大三といえば、25年以上も指導する小倉全由(まさよし)監督(65)の号令に全選手がついていき、役割を全うする「上意下達」が徹底されたチームだと思っていました。
実際は、それぞれが自立し、自分で考えられる選手の集まりでした。
エースの矢後和也投手に話を聞いても、「右打者への内角の制球が課題」と自己分析が明確に出来ており、社会人の選手と話をしているようでした。
もう一つ、強さの秘密を見つけました。
小倉監督と選手の距離感です。
監督が選手と一緒に寮で寝食をともにしているのは知っていましたが、風呂も一緒に入ると聞いて、驚きました。
主将の寒川忠選手は言います。
「風呂場で監督さんの背中を流しながら、いろんな話をするんです。毎日、選手間で背中の取り合いです」
時には恋の話もするそうです。
「彼女はいるのか?」
「はい」
「神宮で彼女の前でヒットを打ったらかっこいいぞ」
「がんばります」
といった具合に。
監督自身も、妻に怒られた話などをして、自分をさらけ出すといいます。
寒川選手は言います。「グラウンドでは厳しいけれど、ユニホームを脱いだら、優しくて、何でも言えるお父さんのような存在です」
信頼関係は、こうして築かれていたのです。
早稲田実の和泉実監督(60)も話しやすい監督でしたが、さすがに彼女の話をしたことはありません。
うれしい話も教えてもらいました。
僕たちが日大三に勝って出た06年の夏の甲子園。日大三の選手たちは、駒大苫小牧(南北海道)との決勝再試合を寮の食堂のテレビで見ながら、みんなで応援してくれたそうです。
それから5年後の11年夏、今度は西東京大会の決勝で早稲田実を破った日大三はそのまま、10年ぶりに全国制覇を果たします。
ライバルの存在は互いを高め合ってくれるのです。
今回、日大三の選手に「西東京で警戒する相手は?」と取材すると、早稲田実の名はなかなか出てきませんでした。
これは、ちょっぴり寂しかったですね。(バーチャル高校野球フィールドディレクター・斎藤佑樹)
夏の甲子園の優勝投手で元プロ野球選手の斎藤佑樹さん(33)が、高校野球情報サイト「バーチャル高校野球」のフィールドディレクターとして活動しています。高校野球の現場などの取材を通じ、野球やスポーツ界の未来を考えます。斎藤さんの取材動画やコラムはバーチャル高校野球でも随時、お届けします。