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東洋大姫路の岡田監督 後輩たちの姿に「ショック」も、日本一へ挑戦

2022年5月7日17時10分

朝日新聞DIGITAL

 (7日、高校野球春季兵庫県大会決勝 報徳学園2―0東洋大姫路)

 ベンチの本塁寄りの一番前の席に座り、腕を組みながら、じっと戦況を見つめる。

 東洋大姫路の岡田龍生監督(60)は、1時間34分の試合中、立ち上がることはほとんどなかった。「自分たちで考えて野球をしてほしかった。僕は解説者みたいに、質問に答えていた」

 昨年度限りで、35年間率いた履正社(大阪)の監督を離れ、4月1日付で母校に戻ってきた。

 就任後、初めて臨んだ公式戦は決勝まで進んだ。優勝にはあと一歩届かなかったが、「夏に向けて打撃力の向上、という課題がはっきりわかった。選手の特徴もつかめた」と手応えを感じた。

 40歳以上も年が離れた後輩たちを指導し始めて、1カ月。岡田監督は「毎日、ショックを受けている」と冗談交じりに言う。

 「子どもたちがおとなしいんですわ。レギュラーをとったる、なんとかして打ったる、というのが伝わってこない。僕が入学した45年前はもっとガツガツしていたんやけど」

 練習にも、覇気が感じられない。「効率も悪く、試合を想定した練習ができていなかった」。ミーティングを開いても、ノートやペンを持ってくる選手はおらず、寂しさを感じたという。

 と同時に、懐かしくもあった。

 「あのころもそうだった」。13人の部員とともに履正社の監督生活をスタートさせた1987年の春。25歳だった。

 学校の狭いグラウンドで、「相手の胸に投げるんやぞ」とキャッチボールの基本から指導。グラウンド全面を使えるのは週に2日だけで、「ほんまに一から野球を教えた」と振り返る。

 そんな無名だったチームを97年夏に初めて甲子園に導くと、年々、力をつけていった。中止となった20年春を含め、春夏合わせて13回甲子園に出場し、19年夏には全国制覇も達成。全国屈指の強豪校に押し上げた。

 約4秒に1本の速射砲のノックで鍛え上げる指導は、名物にもなった。

 今では、「履正社の選手らは、考える力がついた。試合中も僕がサインを出さなくても何をしないといけないかわかっていた」。

 それが一番の財産でもある。東京ヤクルトスワローズの山田哲人ら、数多くの教え子が高校卒業後も活躍する姿が、なによりもうれしいという。

 東洋大姫路は77年夏に全国制覇するなど、春夏計20回の甲子園出場を誇る。今春も14年ぶりに選抜大会に出場した。だが、1回戦で高知に敗退。OBとして物足りなさを感じている。

 しばらくは、「野球を勉強してもらう時間が続く」と言う。速射砲ノックも健在だ。

 「目標は甲子園出場ではなく、日本一になること。そのために帰ってきた。母校に恩返しをしたい」

 試合後、ユニホームの胸の「TOYO」の文字をさすりながら言った。

 「どう?似合っているでしょ?」

 日焼けした顔に、照れ笑いが浮かんだ。(山口裕起)

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