早実以外にめざしたもう一つの高校 斎藤佑樹さんが見た強さの理由
■斎藤佑樹「未来へのメッセージ」群馬・太田へ
中学時代、進学したいと思っていた学校がありました。地元・群馬の県立校・太田です。
東京大など難関国立大に合格者を出す群馬では屈指の進学校です。
その後、やはり野球で勝負したいとの思いが強くなり、早稲田実業(東京)を選びましたが、大学受験を見据えながら野球にも打ち込むなら、太田がいいなと長い間、思っていました。
太田に春夏の甲子園出場経験はありませんが、決して弱い学校ではありません。
昨年は春の県大会で夏の全国選手権大会で優勝経験のある前橋育英を破って4強入りし、夏の群馬大会もベスト4まで進みました。
新チームで迎えた昨秋の県大会でも8強に入り、今春の第94回選抜大会では関東・東京地区の21世紀枠候補校に選ばれました。
自分が一方的に愛着を感じているだけですが、通っていたかもしれない学校が、どんな取り組みをしているのか。なぜ勉強を頑張りながら、野球でも結果を出せるのか。
ヒントを知りたくて、4月上旬、学校を訪ねました。
当日は雨のため、体育館での練習でした。竹刀を使ってバドミントンのシャトルを打つなど、工夫がたくさん見られましたが、特に興味をひかれたのは「三つの野球ノート」です。
個々が反省を記す「練習ノート」は多くの学校が採り入れています。
太田ではさらに、投手と捕手の交換日記となる「バッテリーノート」、グループでチーム全体の課題を考えて共有する「つながりノート」を活用していました。
バッテリーノートは自分自身の高校時代の記憶をよみがえらせてくれるものでした。
投手は自身の状態、捕手は配球の意図などを書き込んでおり、なぜ打たれたのか、振り返りもあります。
ある投手は「緩急」をテーマに、直球とカーブの球速を計算して理想値を求め、打者の意表をつくための配球を記入していました。
岡田友希監督(45)の考えや指摘、バッテリーを組んだ相手からの意見なども書き加えられています。
他の投手や捕手が読めば「これは俺には気づけなかったことだな」「自分の球速ならこうすれば抑えられるかも」などとヒントになるような記述も目立ちました。
バッテリーノートをみていて、高2の秋のミーティングを思い出しました。
当時、早稲田実のライバルは日大三でした。直前の夏の西東京大会の準決勝で1―8で大敗しました。
「何かを変えないと日大三には勝てない」
そう思っていた矢先、和泉実監督にバッテリーを組む白川英聖(ひでまさ)と3人でのミーティングを提案されたのです。
打席とホームベースが描かれたホワイトボードに、得意な球種やコースを書き出していきました。苦手な球種やコースもです。
右打者、左打者の場合に分けて、カウントも細かく設定して、どう配球していくのかを書き出していきました。
「初球は外角直球が多いよね。1ボールからの2球目は内角直球だと打たれるイメージがあるけど、白川はどう?」
「確かに、俺もそう感じている」
「じゃあ、内角の直球は減らしていこう」
そんな具合にです。
このミーティングは、それまでわざわざ言葉にして確かめなかったことを、「見える化」する作業になりました。
目に見える形で認識をすり合わせたことで、2人の間で、状況ごとの配球の選択肢が絞られました。試合でも迷いがなくなり、サインに首を振る回数も減って、投球テンポが改善されたのです。
こうやって一人ひとりの意図や課題、反省を「言語化」することでチーム内の相互理解は必ず深まります。
太田のノートでもおなじことが言えます。「見える化」の効果は大きいのです。
太田では前チームのキャプテンだった沢田大和君にも話を聞きました。彼が強調していたのが「短く濃く」という意識でした。
進学校でもあり、強豪私学のような長時間の練習は出来ません。そこを補うための「短く濃く」なのでしょうが、コロナ禍で制約を受けるなか、その意識はさらに強くなったようです。
「ノートも追い風に働いた」と岡田監督は言います。部員がなかなか集まれなくても、バッテリーノートやつながりノートを介して、目的や課題をすり合わせることができていたそうです。
ノートはほんの一例ですが、勉強との両立を図りながらでも、さらには新型コロナの制約を受けながらでも、太田がグラウンドで結果を出せた理由の一端が垣間見えた気がしました。(バーチャル高校野球フィールドディレクター・斎藤佑樹)