元報徳監督、考え抜かれた声かけメソッド 日大三島で選抜大会へ
1月中旬の日大三島高グラウンド。今にも雪が降り出しそうな空の下で、ノックを受ける野球部員全員の声が響いた。ボールをうまくさばくと「ナイス!」、捕球が乱れると「ちゃんと準備しとけ!」。練習する表情は真剣そのものだ。
兵庫・報徳学園を強豪に育てた永田裕治監督が就任して2年で、チームは38年ぶり2回目の選抜大会出場を決めた。練習では選手全員が同じメニューをこなす「全員野球」を掲げる。
コーチの一人は、選手のやる気を引き出す力に驚いたという。「選手を燃えさせるのがうまいんです。『元気だせ』とか『がんばれ』とか何げない言葉でも選手がやる気になるんですよ」
「選手と話すときは相手の目を見る。声をかけるのは『今、手助けしたら調子が良くなる』というタイミングで」。指導方法を尋ねると、そう返ってきた。「さぼっているやつには助言しない」と、選手の努力を見るように心がけている。
「エースとしての自覚を持って、人の2倍、3倍がんばれ」。投手の松永陽登選手(3年)は、昨秋の地区大会前に永田監督からかけられた言葉が忘れられないという。
中学時代に所属していた硬式野球チームは、全国大会の経験も豊富な強豪だった。小学生の時はエースとして活躍したが、優れた選手に押し出されるように内野手に転向。「打てなかったらすぐベンチ。安定して結果を出せないことがつらかった」と振り返る。
日大三島に入学した松永選手を、永田監督ら指導陣は投手として起用した。再び投手を目指したいという熱意と、吸収力の高さを見込んだ。少しずつ自信を取り戻し、投手として成長する中でかけてもらったのが「エースとして」という言葉だった。
松永選手をさらに奮い立たせ、厳しい練習にも向かわせた。短距離ダッシュでは休む間隔を短くして負荷をかけた。打撃練習では1本でも多くバットを振り込んだ。入学時に125キロだった球速は140キロになり、体重も1年生の秋から6キロ増えた。チームの柱となった今、永田監督は「投手とクリーンアップを担う、チームの中心選手」と大きな信頼を寄せる。
モットーの「全員野球」は同じ練習を全員に課すだけではない。選手全員に目を配り、個々の努力に光を当てる。「選手全員が気持ちを表に出して、よくがんばっている。さらに努力して、甲子園で校歌を歌いたい」と永田監督。加藤大登主将(3年)も「自分たちの粘り強い野球を貫いて、38年ぶりの一勝を全員野球で勝ち取りたい」と意気込む。意識するのは1984年に出場し、1回戦を突破した大先輩たちだ。その背中を追い、初戦に挑む。(魚住あかり)