恐れ多いイチローさんのバット 最初に振った「ラッキーボーイ」
選抜高校野球大会に出場する国学院久我山(東京)には、大事な「お守り」がある。
平日の夕方。サッカー部と共有のグラウンドに、選手たちの声が響く。そのバックネット裏の机の上に、1本の黒いバットが置かれている。
「国宝級なので、普段の置き場所は秘密。一番のお守りです」。管理する尾崎直輝監督が教えてくれた。
昨年11月、球界のスーパースターがグラウンドを訪れた。日米通算4367安打を放ったイチローさん(48)だ。
「野球がうまくなりたい。強くなりたい。そのために来てほしい」。引退した3年生が2年生の時、イチローさんにそう手紙を書き、実現した縁だった。
2日間、指導を受けた。黒いバットは、イチローさんがその時のフリー打撃で使ったものだ。バットには球を打った跡がくっきりと残る。
尾崎監督は「これがあれば『常に私に見られていると思うでしょ』『私が教えたことを忘れないでしょ』という意味が込められると思い、いただいた」と話す。
イチローさんからは「バットを振ってもいい」と言われた。尾崎監督は、選手たちが素振りをできるようにバットを置いているが、「しないですね。恐れ多いみたい」と笑う。
でも、1人だけ「国宝級のバット」を振った子がいる。「その子は言った当日に握って、ぶんぶん振っていました」
その1人とは、鈴木勇司選手。昨秋の都大会は背番号13でベンチ入りした強打が売りの2年生だ。「本当に好きだったから、振りたかった」。3年生の上田太陽主将ですら「まだ達していないので」と恐れおののく中、迷いはなかった。
実際に振ってみると、憧れの人が身近に感じられた。「これが世界のイチローさんのバットなんだと、うれしいのと、楽しいのと、感動がまじった」と満面の笑みを浮かべた。
鈴木選手は昨秋の都大会決勝で、2点を追う九回1死から代打で安打を放ち、サヨナラ勝ちのきっかけを作った。尾崎監督は「大事なところで打ってくれる強運の持ち主。野球に関して野心もあるし、愛されキャラなんです」と話す。
自分でもラッキーなことが多いと思っている。昔から、初詣などで引く神社のおみくじは大吉しか出たことがない。高校1本目の本塁打は、たまたま練習試合を見に来たイチローさんの前で打った。
小さい頃からイチローさんの大ファンで、野球を始めた頃からずっと見てきた。落ち込んだ時は、イチローさんの名言を集めた本を手に取る。指導に来てくれた時も、「チャンス」と思い、ためらわずに質問した。
「引退しても筋肉や走力が衰えていない。肩も打撃も一流ですごかった。こういう選手になりたい、ってより一層思った。自信のあるバッティングでアドバイスをもらって、意識して冬の練習ができた」
173センチ、95キロ。チームに欠かせない「ラッキーボーイ」にとって、自信を深めた冬になった。
ちなみに、一昨年、イチローさんの指導を受けた智弁和歌山は昨夏に全国制覇を達成した。国学院久我山は過去3回の選抜でいずれも初戦で敗退している。尾崎監督は言う。「指導を受けた2日間、選手たちはうまくいかないと、すぐにイチローさんに質問にいっていた。その光景がいいと思った。これが続けば全国につながるんじゃないかと思った」
18日開幕の選抜は、国学院久我山にとって11年ぶりの大舞台。「お守り」とともに初戦に臨む。(野田枝里子)