記者も思わず「えっ」 元カープの達川さん、意表をついた広商野球論
20年ぶりに選抜高校野球大会への切符を手にした広島商のOBで、広島カープの捕手や監督として活躍した達川光男さん(66)が朝日新聞のインタビューに応じた。伝統の広商野球、ライバル広陵、「夢の対決」……。相手をほんろうした現役当時のプレーさながら、意表を突く答えを交えつつも愛情たっぷりに語った。
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――古豪復活といわれる今の広島商をどうみていますか。
広商らしく、粘り強い。昨秋の県大会と中国大会は逆転勝ちや接戦を制した試合が目立った。終盤での逆転もあって、しぶとい。
――広商野球といえば「精神野球」が代名詞とされてきました。達川さんにとって広商野球とは。
私らの時代の広商野球部員心得は「広商野球部は精神野球に徹すべし」から始まる。「日日一挙一動を精神修養の場と心得自らを律するべし」とも書いてあって、最後は「ファイトなき者は去れ」。入学して、一日で覚えてこいと言われてすぐにノートに写して覚えましたよ。
精神野球は、いろんなことを我慢してやるということ。ともに練習し、ともに飯を食い、ともに授業を受け、同じ苦労をしていろんなことに耐えてきた。精神野球は我慢野球だよね。
でも、「広商野球」というものは、ないよね。
――え、ないんですか。
精神野球とか、一球を大事にする野球とか言われるけど、どこの学校も一球を大事にしているはず。「伝統の機動力」とも言われるけど、足を使える選手が集まらないこともある。その年、その時の指導方針によっても違ってくる。
――粘り強さなどの「広商らしさ」を受け継ぎつつ、チーム事情に応じて指導を工夫していると。
広商野球がどうのこうのというのは、後付けよ。精神野球というのは結局、言葉の「魔法」なんですよ。これだけ鍛えたんだから平常心で野球ができる、という心の支えのためにそういう言葉を使っている。
でも、心を鍛えても、やっぱり技術がないとどうしようもない。技術を身につけるために努力して、その間に、ここ一番でも平常心で野球ができるようになる。それが私の考えです。
――現チームの荒谷忠勝監督の指導はユニークです。ビジネスの観点から、計画・実行・評価・改善を繰り返すPDCAサイクルを取り入れています。
荒谷監督はいろいろ工夫している。日誌を書かせて、各自で課題を自覚させ、それが選手にも浸透しているよね。今の時代にあった指導をしている。高校野球も、日々成長しなきゃ、現状維持ではどんどん追い越されるよね。
私らは「耳」から指導をうけた。でも、今の子たちは「目」で指導しなきゃいけない。ソフトバンクのヘッドコーチを務めた2年間(2016年10月~18年11月)に動画を使って指導していて、自分にとっても勉強になった。試合の前後に各選手がタブレット端末で自分のプレーを見ていた。予習・実践・復習が素早くできてるよね。非常にいいやり方だと思った。
――今回の選抜大会は広陵とともに出場します。達川さんにとって広陵はどんな存在でしたか。
負けたくないライバル。広陵の壁を破らずして甲子園はない、という感覚でしたよ。広陵のユニホームを見ると武者震いするというか。よそのチームに負けても、広陵には負けちゃいかんと言われていたからね。
広陵との試合は「広島の早慶戦」とまで言われ、名前の並び順にも対抗心を燃やした。「広商・広陵」なのか、「広陵・広商」なのか。負けたくないから、名前ひとつでも先に出ようとするのよ。
――当時は広陵の野球をどうみていましたか。
広商の「精神野球」に対して、広陵は技術を優先して選手を育てるイメージがあった。広陵はプロに入った選手の数も多い。でも結局、広商も広陵も心技体のすべてを重んじていたんだと思いますよ。
広陵が「技」を重んじるなら、広商は「心」を重んじようという対抗心もあったんじゃないかな。そういうライバル関係があるからこそ、お互いに切磋琢磨(せっさたくま)できている。
――この春、「広島の早慶戦」が甲子園で実現するかもしれません。
そうなれば、一生の思い出になる。冥土の土産だね。決勝であたることになったら、歴史的じゃないかな。広島の街がうるさくなるよ。
現実にそうなったら、どっちが勝ってもええ。勝ち負けよりも、広商と広陵が、広島のチーム同士が、よい試合をしてほしい。(聞き手・松尾葉奈、辻健治)
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たつかわ・みつお 広島商3年だった1973年春の選抜大会で準優勝、同年夏の全国選手権大会で優勝した。東洋大を経て、77年秋のドラフト会議で広島カープから4位指名され入団。ゴールデングラブ賞とベストナインを3度ずつ受賞した。99年から2シーズン監督を務めた。中日やソフトバンクなどでもコーチを歴任し、現在は野球解説者として活躍。