小坂将商監督 母校を初の夏準優勝に導く
2021年8月31日09時00分 朝日新聞デジタル
【奈良】部員の誕生日を覚え、ケーキで祝う。取材に緊張する選手を笑顔でからかう。年の離れた兄貴のような存在だ。
選手時代は智弁学園で主将と4番を任され、甲子園では福留孝介選手(中日)率いるPL学園(大阪)を破って4強入り。練習では誰よりも声を出し、率先して動いた。寮で同室だった同級生が「リモコンを決まった位置に戻さないと怒られた」というほど生真面目。
大学、社会人野球を経て、2006年に監督として母校に戻った当初も、部員を叱ってばかりだった。選手を上手にしたいと思うあまりだが、やがて「怒るだけじゃだめだ」と気づく。
試合で打てず落ち込む選手には「朝練一緒にやるか」と声をかけ、早朝から1時間つきっきりで1週間指導する。練習で叱った選手を呼び寄せ「試合で打てばいい」と声をかける。
いまも仲間は「口べた」と言うが、背中で引っぱった選手時代と違い、対話を大切にしている。高校時代の恩師は「子どもの目線におりて教えている。監督も成長した」と感心する。
「こいつら強いですよ」と言い続けていた選手たちと、自分たちがつくった母校の最高成績を26年ぶりに塗り替え、準優勝に導いた。「最後の(夏だからという)ノリみたいな、楽しくやろうっていう部分がこの3年生はなかった。選抜の負けから成長できた」
和歌山県出身。実家はすし屋で名前は「大将」「商売」が由来だという。(米田千佐子)