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智弁和歌山監督は元プロ選手 失明の危機…苦労の15年

2021年8月29日13時20分

 「献身的」という言葉が似合う捕手だった。智弁和歌山の中谷仁監督(42)のプロ野球時代のことだ。

 阪神、楽天、巨人とプロ通算15年で、1軍出場は111試合に過ぎない。特別強肩でもなく、打撃は非力。だが、体でワンバウンドを止め、ここぞというタイミングで投手に声をかける。ベンチでは高校球児のように、大声を張り上げてチームメートを応援していた。

 そんな姿勢が認められ、花が開きかけたのが楽天時代の2009年だ。当時、わたしは楽天の担当記者だった。野村克也監督は「プロ野球を50年以上見てきて、最低の打者」と毒舌でこきおろしながらも、「一生懸命さが伝わってくる。ベンチに帰ると、俺やコーチと必死にミーティングをしとる」と言って、中谷を試合に使った。

 この年、キャリアハイの55試合に出場。田中将大や永井怜とバッテリーを組み、球団初のクライマックスシリーズ進出に貢献した。

 智弁和歌山の主将として、1997年夏の甲子園で優勝し、ドラフト1位で阪神に入団。2位が後にエースになる井川慶だった。将来の正捕手と期待されたが、同僚選手の投げた携帯電話が目に当たり、失明の危機に陥った。

 目が治りかけたころ、打撃練習をしようと思い、室内練習場で投球マシンと向き合った。ところが、全くバットに当たらない。涙を流しながら、マシンの球を捕球することから始めたという。2軍では、1学年下の藤川球児とも苦楽をともにした。

 2005年秋に楽天にトレードされた。毎年秋には戦力外通告の危機におびえた。背水の思いで臨んだ09年、藤井彰人の故障、嶋基宏の伸び悩みでチャンスをつかむ。交流戦の甲子園でプロ初本塁打を放った時は、阪神の選手からも祝福されていた。

 09年秋、ヒーローになった試合後に聞いた言葉が忘れられない。「こんな勝負のかかった状況で試合に出してもらえる。うれしくてたまらんです。お客さんがこんなに入った中でプレーできる。プレッシャーなんてありません。幸せなんです」

 下積みの苦労を知る男が勝負師となり、教え子たちを率いて古巣の甲子園に戻ってきた。(稲崎航一)

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