浦和学院、冬にクラスター発生 自粛を乗り越え甲子園へ
(21日、高校野球選手権大会 浦和学院3-4日大山形)
コロナ禍で迎えた今夏は、各地で感染や出場辞退が続いた。浦和学院(埼玉)も野球部内でクラスターが発生し、部員らの大半にあたる約40人が感染。「野球どころではない日々」(吉田瑞樹主将)が続いた。日大山形に敗退したが、約6週間の活動自粛を乗り越えた球児たちが甲子園で躍動した。
1月末、吉田主将は練習中に熱っぽさを感じた。熱を測ると38度を超え、すぐに病院でPCR検査を受け、陽性と分かった。「まさかコロナになるなんて、信じられなかった」
部員やスタッフらがPCR検査を受けるたび、次々と感染が判明した。症状がなく、「え、オレも?」と驚く部員も。「感染対策は当然していた。通いの生徒も寮に住まわせ、できるだけ外部との接触を断っていたのに」と森士監督(57)は振り返る。
吉田主将は県内の実家に隔離され、高熱にうなされる毎日を送った。食欲もなく、水分を取ることしかできない。トレーニングなどで85キロまで増やした体重は7キロ減った。
同じく感染した松嶋晃希選手(3年)は「これまでは練習がきつくて休みたい日もあった。でもいざ休むと、野球ができないことが一番きついんだって分かった」と振り返る。
陽性者はホテルに滞在したが、陰性の選手たちも濃厚接触者として寮から一歩も出られなかった。主要スタッフで感染しなかったのは、直前まで出張していた森監督だけ。寮にいる部員の世話を森監督も引き受けた。
「俺がかかったら選手の世話をする人がいなくなる。こりゃ絶対倒れられないって、気合入りましたね」。各部屋への毎食の弁当配布からトイレの消毒まで、「文字どおり下の世話までやった」。日常生活を長く共にしたことで、「今年は選手との距離が例年より近い。選手も『監督も厳しいだけの人間じゃないんだ』と分かってくれたのかも」。思わぬ収穫だった。
練習は3月上旬に再開できたが、クラスターが起きた野球部に学校や地域の目は厳しく、当初はグラウンドで声を出すのもはばかられた。冬場に失った体力を取り戻すため、春も夏も走り込みを続けた。
苦しみを経験したチームが一丸となって迎えた甲子園。日大山形に惜敗した直後、涙を流す吉田主将の頭をよぎったのは、クラスターが発生してもなおチームを支えてくれた指導者らのことだった。「自分たちだけではこの舞台に立てなかった」。この経験は、確かにチームの力になった。(黒田早織)