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阪神・青柳晃洋投手 自身の原点、高校時代を振り返る

2021年8月4日18時15分

朝日新聞DIGITAL

 一番になりたい――。阪神タイガースの青柳晃洋投手(27)=横浜市出身=は、そんな思いで腕を振り続けてきた。唯一無二の投法を武器にプロに進み、東京五輪の野球日本代表に選ばれた。10年前、公立校のエースとして挑んだ青柳投手に、自身の原点となる高校時代を振り返ってもらった。

 ――独特なサイドスローで、変則右腕と呼ばれる。小学生の時に自然に身についたフォームだったが、横浜高校出身の松坂大輔投手(現西武)に憧れて「上からすごいボールを投げたい」とも思っていた。

 当時はプロで活躍している変速投手があまりいなかったですし、初めて見る人には馬鹿にされたりまねされたりもしました。でも高校からは自分の持ち味になっていった。誇りを持って投げていましたね。

 ――川崎工科に進むと1年秋でエースになった。30メートルダッシュを1日100本こなして足腰を鍛え、3年生の時、140キロ近い速球を投げられるようになった。

 公立校で一番の成績を出そうというのが目標でした。そのためには私学に勝たないといけないし、何より公立には負けられないという思いはありましたね。

 高校野球はトーナメントで負けたら終わり。大学やプロはリーグ戦になるので、一発勝負の勝負強さは高校野球で培ったものかなと思います。

 ――2011年の高校最後の夏。初戦で、前々年優勝、前年4強の横浜隼人を破るなどベスト16に入った。

 「えらいところに入ったな」という感じでしたが、1点差で逃げ切りました。同じ川崎の川崎北に勝てたのも、印象的ですね。川崎北が公立の雄と言われていたので、ライバル心もありました。

 5回戦で敗れた桐蔭学園はキャッチャー以外全員左バッターでした。茂木(栄五郎選手・現楽天)に2ランホームランを浴び、若林(晃弘選手・現巨人)にもいいボールを打たれたことは、今でもはっきり覚えています。

 ――「一番になりたい」という思いを貫き、高校時代からプロを意識してきた。そこには1人で育ててくれた母を支えたいという思いもあった。

 高校の時も、朝早くに弁当を作ってくれたり、仕事が忙しくても平日も試合に来てくれたり。そんな母の支えがあって野球ができました。

 学校内で球速が一番になりたい、ピッチャーの中で一番になりたい、公立の中でも、神奈川県の中でも一番になりたい。そういう気持ちは今でも常に持っています。阪神の中で一番のピッチャーになりたいですし、そうなったら今度は日本で一番のピッチャーに、となると思います。

 ――一昨年から阪神の先発陣の一角を担い、東京五輪で初の日本代表に選ばれた。

 ここまでなれるとは思わなかったですね。コントロールや牽制(けんせい)など、プロでは一流ではない部分がいっぱいあるな、と思っている中でも代表に入ることができました。自分が苦手なことがあるから諦めるんじゃなくて、自分の得意なところを頑張ればそこまで行けるんだと感じました。高校球児や中学生、小学生も、見てそう思ってくれたらすごくうれしいですね。

 ――2年ぶりの大会は人数制限があるものの、観客がいる状態で行われる。

 最後の大会は一回しかない。悔いのないようにするのはもちろん、応援してもらっている親や先生をぜひ球場に招待してほしいなと思います。去年、大会がなかった分、プレーできる喜びを感じながら精いっぱい頑張ってほしいです。(聞き手・構成 黒田陸離)

     ◇

 あおやぎ・こうよう 1993年12月11日生まれ。横浜市出身。川崎工科では3年夏に神奈川大会ベスト16。帝京大を経て、2015年ドラフト5位で阪神に入団。主に先発投手として活躍し、19年に9勝、20年は7勝を挙げた。下手投げに近い独特な右横手から140キロ台後半の速球や多彩な変化球を繰り出す。身長183センチ、体重80キロ。

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