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「女の子は野球やっちゃだめ?」 奔走した少女の初勝利

2021年7月25日09時00分

 1977年の春ごろ、東京都の板橋区役所に近い公園で、午前6時前からキャッチボールを楽しむ女子中学生グループがいた。

 「仲良し4~5人で『朝練しよう!』というノリだった」。飯田(旧姓松沢)順子(57)が懐かしむ。兄と弟に挟まれ、幼いころから男子と野球をして遊んだ。体力測定でソフトボールを投げると、体育館に当たって「計測不能」と記録されるほどの強肩だった。

 だが、女子は野球部に入れない。ソフトボール部もなかった。「家にグラブがある子と仲良くなり、野球やろうって話になったんだと思う」。学校のジャージー姿で野球をする女子中学生たちは、不思議な目で見られたのだろう。「何やってんの」「毎日、頑張っているね」。よく声をかけられた。

 その中に少年野球の指導者がいた。投げ方などを教えてくれ、ある日、若い男性を連れてきた。「プールの監視員?」。順子は思った。夏休みに小学校のプールにいたアルバイト大学生だったからだ。当時23歳の川越宗重(67)は近所で学習塾を始め、商店街の野球チームでプレーしていた。

 「なんで女の子は野球をやっちゃいけないの」と不満を言う順子に、「10人集めたらチームを作ってやる」と川越は約束した。「私も若かったんで、軽い気持ちで言ってしまった」。彼女たちは友だちに声をかけ、人数をそろえた。

 当時は珍しい女子軟式野球チーム「ドリームウイングス」が誕生した。「夢見る翼だね」「かっこいいじゃん」。赤と青のユニホームも作った。「スパイクも初めて買った。本格的で、すごい興奮した」と順子は振り返る。

 対戦相手は男子小学生。一方的なスコアで連戦連敗。川越の尽力で女子チームとも対戦した。その試合が記念すべき初勝利となる。「女の子の中では強い」と喜んだのもつかの間、別のチームに大敗し、「上には上がいるねえって感じだった」。

 川越が調べると、北海道や神奈川、大阪などにも女子チームがあり、全国大会も開かれていた。ドリームウイングスは82年、その少女の部で優勝を果たす。

 だが、その年を最後に大会がなくなってしまった。「このままでは女子野球が発展しない」。危機感を抱いた川越は都内のチームをまとめ、88年に神奈川県とともに関東女子軟式野球連盟を設立した。

 平成になって翌年の90年8月、第1回全日本女子軟式野球選手権大会を開く。参加チーム(一般8、小学生6)には、50年代の女子プロや実業団野球で活躍した選手が結成したチームもあった。平均年齢44歳。当時55歳の近藤信子(故人)は「作法やプレーで若い子の模範になる」と川越に約束した。

 実際、みんな格好良くて強かった。「あんな選手になれるんだ」と憧れた女子も多い。審判長は実業団経験者で、当時53歳の高橋町子(84)。新聞記者になったばかりの僕もこの大会を取材した。

 昭和から平成の「野球大好き女子」にバトンを渡す役割を果たした大会は、川越(現・全日本連盟会長)のもと、今も続いている。後に日本女子代表監督を務める橘田(きった)恵(38)=履正社高女子硬式監督=をはじめ、この大会(小学生の部)から羽ばたいた選手も多い。=敬称略(編集委員・安藤嘉浩)

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