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コールド負けばかりの野球部 名将の下、地元に希望を

2021年7月15日15時35分 朝日新聞デジタル

 今日もまた、コールド負け。崖っぷちだった野球部が今、変わろうとしている。春夏計14回甲子園に導いた82歳の名将の就任で、地域住民も今までにない期待を寄せる。半世紀前の最高成績を超える活躍で、商店街の空き店舗が目立つ地元を元気に――。この夏、球児たちの挑戦が始まる。

 シャッターを下ろした店が目立つ、人通りのまばらな広島県竹原市の商店街の一角。「雄光(ゆうこう)寮」と書かれた木目の看板が目を引く2階建ての民家で、球児たちがもりもりとご飯をほおばる。

 竹原高校の野球部員が暮らす寮は、学校から徒歩15分の竹原駅前の商店街にある。近くにある別の寮と合わせて、1年生と2年生の計4人が暮らし、夕食後も素振りや筋トレに励む。

 創部75年の伝統ある野球部は1974年、夏の広島大会で準優勝を果たした。学校に残る記録には「決勝戦には、市人口の約1割、3千人の市民が広島市民球場へ乗り込む」とある。甲子園にあと一歩まで迫った街の盛り上がりを鮮明に覚えている市民は多い。

 だが、現在は選手14人とマネジャー2人で、綱渡りの状態が続いている。今年の1年生はわずか3人と、来年以降の存続に不安が残る。近年は夏の大会で初戦敗退が続いている。

 低迷続きの野球部に、2年前、大きな変化があった。広島商や如水館で監督として春夏計14回甲子園に導いた名将、迫田穆成(よしあき)監督(82)が就任した。

 迫田監督の就任初日。5倍も年齢が離れた名監督を前に、選手たちは緊張していた。だが、監督はあらかじめ覚えてきた一人一人の名前を呼び、選手との距離を一気に縮めた。守りを重視し、点を取られない野球をめざす監督の指導で、コールド負けばかりだったチームは練習試合で勝てるようになってきた。

 野球部の寮が誕生したのも、迫田監督が「遠方の生徒にも入ってほしい」と考え、部員の保護者に持ちかけたことがきっかけだ。商店街で呉服屋を営む黒田雄次郎さん(52)が昨年4月、かつて衣料品店だった空き家をリフォームし、寮として整備。今年6月にはもう一つの寮もできた。

 寮で暮らす吉本陸翔(りくと)君(2年)は、父親も迫田監督の如水館時代の教え子。元気がない商店街で生活し、地域の人の期待も肌で感じている。「自分たちが頑張り、街を活性化させたい」と力強く話す。

 迫田監督率いる野球部は、地域とのつながりを大切にしている。一昨年には、西日本豪雨で被災した街を明るくする商店街主催の「復幸まつり」の設営を担った。今年4月からは月1回、相撲部と一緒に駅前などでゴミ拾いを始めた。

 地域からも応援の輪が広がる。6月下旬、学校近くの「道の駅たけはら」に野球部を応援する特設コーナーができた。準優勝した時の新聞記事や、寮を紹介するパネルが飾られている。

 企画したのは、道の駅のスタッフで、長男(20)が野球部で迫田監督の指導を受けた大久保史代さん(46)。「各部員のファンもいるほど、みんなが応援している。地元をあげてもり立てたい」

 夏を前に、緊急事態宣言下で他校との練習試合ができなかった。少人数の部員では紅白戦や守備、走塁の実践的な練習は難しい。

 6月末のグラウンド。夕晴れの空の下、選手たちが元気な声を響かせる。コロナ禍で十分な練習が積めない中、無理をしないノックで調整を続けてきた。

 和気(わき)蒼汰主将(3年)は逆境を前向きにとらえる。「部員が少ないからこそ、ボールにたくさん触れる。竹原や応援してくれる人のためにも、今までの自分たちとは違うところをみせたい」。迫田監督は言う。「楽しゅう野球やること、笑顔で明るくいること。社会に出て野球をやってよかったと思ってほしい」(三宅梨紗子)

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