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人口減進む造船の島 野球部「強豪に勝って名前あげる」

2021年7月9日16時39分 朝日新聞デジタル

 瀬戸内海に浮かぶ「造船の島」はかつて、野球チームがあふれていた。だが、時代とともに若者は島外に流出し、野球人気にも陰りが見える。故郷にもう一度、輝きを――。広島県の因島高校の10人の球児たちが勝負の夏に挑む。

 「いいぞ、頑張れ!」。5月の終わり、ある晴れた昼下がり。瀬戸内の青い海をのぞむ浜辺に、元気な声がこだましていた。

 真っ白な練習着に身を包んだ選手たちが、20キロを超えるトレーニング用の重りを両手に抱えて砂浜を駆け抜ける。砂の上で、陸上用のハードルを次々に飛び越えていった。因島高校野球部名物の「浜練」だ。

 部員数はここ数年間、10人ほどでギリギリの状態が続いている。昨夏の独自大会後、新チームは2年生7人で活動を続けてきた。試合に出場できる9人に満たず、昨秋の大会は欠場を余儀なくされた。「試合に出たい気持ちが強くなった」。主将の高田悠雅(ゆうが)君(3年)は振り返る。

 故郷の「因島」を背負い、夏は単独で出たい――。選手たちが強い思いを抱いて迎えた新年度。新入生1人が入部し、8人になった。さらにサッカー部と体操部から「助っ人」が加わり、10人で夏を迎える。

 2年前に就任した伊豆田昌弘監督(54)=福山市出身=は京都産業大軟式野球部の投手として全国制覇した経験を持つ。「結果を出さないと人は集まらない。このままでは廃部になるかもしれない」と危機感をあらわにする。

 瀬戸内海にうかぶ因島は、かつて人口が4万人を超え、高度経済成長期は「造船の島」として栄えた。「当時は経済でも何でも右肩上がり。輝いていた」。野球部OBで、因島の会社で働き続けてきた宮地太さん(64)はそう振り返る。3年生だった1974年には、30人ほどの部員で活動し、夏はベスト8まで勝ち進んだ。「あのころが一番盛り上がっていた」

 しかし、80年代に世界有数の造船所だった日立造船が島の新造船部門から撤退。99年、急激な生徒の減少で学校は因島北と統合した。2006年には尾道市と合併して因島市の名前はなくなり、人口は5月現在で約2万1千人まで落ち込んだ。

 過疎化や少子化に加え、野球離れも進んでいる。因島軟式野球連盟によると、島には最盛期、軟式野球チームが55あったが、8チームに。小学生のチームも8から3と半数以下に減った。職を求めて島外に出る若者が後を絶たず、片平義光理事長(72)は「沈んだ島ですよ」と声を落とす。

 野球部は3年生が引退すると、1年生の古川拓海(たくみ)君だけになる。古川君は「尊敬する3年生と、少しでも長くやりたい」。副主将の梶原哉汰(かなた)君(3年)は「挑戦者として強豪校に勝って、因島の名前をあげたい。古川のためにも頑張りたい」と意気込む。

 「因島で野球がやりたいと思ってくれる子どもたちが増えてほしい」。伊豆田監督はそんな思いで3年前から、インスタグラムでの発信を始めた。瀬戸内海をバックにした「浜練」や、各自が持参する350グラムの特大おにぎりをほおばる「食トレ」の写真などを毎日更新。投稿を見た島民から「がんばれよ」と声をかけられることが増えた。

 学校近くで文房具店を営む二神勇さん(86)は、練習に励む選手の姿に「がんばっとるなあ」と目を細める。昨年からは、自分の畑で育てた無農薬のネーブルを「好きなだけもっていけ」と無償提供している。

 高田主将は「今年が単独で出られる最後になるかもしれない。部員は少ないけれど、他のチームに負けない声出しや最後まで諦めない姿を多くの人に見てほしい」と話す。

 6月中旬、晴れた青空の下、白い砂浜に選手たちが一列に並んだ。高田主将の「目標」のかけ声で、海に向かって順番に大声を上げた。「全力で!」「元気で!」。夏は目の前だ。(三宅梨紗子)

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